専門用語集

 理論は非常に有益である。なぜなら、あなたの理論はあなたが見ることのできるものを決定づけるのだから。

 アルバート・アインシュタイン  

インデックス

ビッグ・スリー | ITP/ILP | 前後の混同 | カテゴリー・エラー | AQAL |

「ビッグ・スリー」 ("the Big Three")

千葉 絵里

関連用語「AQAL」で説明している通り、ケン・ウィルバーは、四象限図を用いて知の探求の諸領域を四つ(*1)に整理して提示した。(*2) 但し、簡便に、右上象限(itの領域)と右下象限(itsの領域)をまとめて論じることがあり、この場合、四象限の代わりに「ビッグ・スリー」("the Big Three")と呼ぶ。

「ビッグ・スリー」、即ち三つの究極の価値領域と言えば、すぐに思い起こされるのはプラトンの「真」・「善」・「美」であろう。ウィルバーは、カール・ポパー(Karl Popper)(「三世界論」)やユルゲン・ハーバーマス(Jurgen Habermas)(「妥当要求」)の議論を踏まえた上で、「真」・「善」・「美」はそれぞれ「それ」・「私たち」・「私」言語で記述される価値領域であると説明している。

  • 「それ」言語で記述しうる領域(科学と技術、客観的自然、客観的形態、命題的真実に関わる領域)=「真」
  • 「私たち」言語で記述しうる領域(倫理、道徳、世界観、共同の文脈、文化、間主観的な意味、相互理解、公正さ、公平性に関わる領域)=「善」
  • 「私」言語で記述しうる領域(意識、主観性、主体性、自己、芸術、誠実さ、真実性に関わる領域)=「美」

しかしながら、「ビッグ・スリー」は、元々、このような輪郭を明確に持っていたわけではなかった。近代以前においては、「ミクロコスモスたる人間の頭部の穴が七つであるから、マクロコスモスたる宇宙において、惑星の数も七つであるに違いない」という主張に見られるように、各価値領域が自律性を持つものとは見なされていなかった。「ビッグ・スリー」が明確に区別されるようになったのは、人類の歴史において、意識の重心、即ち社会の構成原理が神話合理性段階から合理性段階に移行した時代に至ってである。(*3) 「ビッグ・スリー」の分化により、達成された成果には次のようなものがある。

  • 自己(「私」の領域)と文化(「私たち」の領域)の分化は、民主主義の興隆に直接に関係している。民主主義にあっては、各自が投票する権利を持ち、教会あるいは国家という支配者の神話的ヒエラルキーに、個人は組み入れられることがない。この領域の分化により、自由主義的民主主義の大規模な隆盛がもたらされた。
  • 知性(「私」の領域)と自然(「それ」の領域)の分化は、女性や奴隷の解放を含む様々な解放運動の勃興に貢献した。生物学的な力が、精神的な権利の基礎とはならなくなったからである。これによって、リベラルなフェミニズムと奴隷制度の廃止という、広範で実効性のある文化運動の高まりがもたらされた。
  • 文化(「私たち」の領域)と自然(「それ」の領域)の分化は、経験科学・医学・物理学・生物学の興隆をもたらした。真実がもはや国家や教会の神話に従属するものではなくなったからである。 (*4)

このように、「ビッグ・スリー」の分化は偉大な成果を上げたが、発達の新たな段階は、その段階では解決できない病理・盲点を必ず生み出す。「ビッグ・スリー」を分化させた大きな力こそが、近代の問題点をも生み出すことになった。

文化と自然の分化に伴い、自然科学は目覚しい発展を見せた。自然科学は、真実の言明に対し、観察・計測可能な客観的証拠を要求する。もはや教会や国家の神話に従属せず、自然科学的思考を大きな特徴とする合理性段階の行動論理は、「往々にして、AQALの右側領域において観察可能な証拠を排他的に絶対化する視野狭窄に傾斜することになる」。(*5) 次第に、「それ」言語で記述しえないものはリアリティーではない、とする主張が支配的となっていったのである。「私」あるいは「私たち」言語で記述される領域――質的な弁別、意義と価値の探求、深層の解釈学、内省と内面の表明、間主観的なディスコースと認知のパラダイム等々(*6) ――は、「それ」言語の領域に比べ、意味や価値を持たないものとみなされるようになった。「ビッグ・スリー」は分化したのみならず、分離に陥ってしまったのである。ウィルバーはこれを「コスモスの倒壊」、「フラットランド化」、「『ビッグ・スリー』の『ビッグ・ワン』化」と呼び、鋭い批判を加えている。

この近代化の問題、特に道具的合理性の問題こそ、現代の哲学者が取り組んできた主要課題のひとつであり、近代批判を契機に様々な思想潮流が形成されてきた。自分の好みだけがリアリティーの最終審判者である(四象限の左上のみで全てを説明できるとする立場)、普遍的な真実などなく全ては文化的な構成物である(左下のみで全てを説明できるとする立場)という極端な主張も、このような流れの中から生まれてきたものといえる。ウィルバーは、このような立場も還元主義であるとして批判を行っている。

ウィルバーが主著『進化の構造』でまとめた「20のテネット」の言う通り、進化の過程は「分化」と「統合」により進行する。ウィルバーのインテグラル理論は、いまだ統合されざる「ビッグ・スリー」の統合の提案であり、諸学問の対話と協働の可能性を拓くものとして構想された。

参考資料

Ken Wilber (1995/2000). Sex, ecology, spirituality: The spirit of evolution (Second Edition). Boston: Shamblhala.
Ken Wilber (1996/2000). Brief history of everything (Second Edition). Boston: Shambhala.
ケン・ウィルバー(松永 太郎訳)(2004) 『統合心理学への道:「知」の眼から「観想」の眼へ』 春秋社
鈴木 規夫(2007) インテグラル思想研究会資料(2007年10月30日分) Available at http://integraljapan.net/seminar/ses_part_eight.htm
高橋 恵介(2007) 「AQAL」 Available at http://integraljapan.net/words/aqal.htm

*1 近著Integral Spirituality: A Startling New Role for Religion in the Modern and Postmodern World(2006)では、8つにまとめたモデルを提示している。
*2 再度整理すると、ここで重要なのは、ひとつの事象について少なくとも四つの視点から考察が可能であり、ひとつの視点であらゆる真実を説明しつくすことはできず、四つの視点それぞれに敬意を払うべきであるというウィルバーの主張である。
*3 ウィルバーは、イマヌエル・カント(Immanuel Kant)の『純粋理性批判』(1781年第一版刊行)・『実践理性批判』(1788年)・『判断力批判』(1790年)をもって、「ビッグ・スリー」が分化したことの証左であるとしている(Wilber, 1995/2000)。
*4 Wilber, 1996/2000, p.115
*5 鈴木、2007
*6 Wilber, 1995/2000, p.429

ITP/ILP

千葉 絵里

ITPはIntegral Transformative Practiceの、そして、ILPはIntegral Life Practiceの略。日本語では、前者は「統合的実践」あるいは「統合的変容のための実践」、後者は「インテグラル・ライフ・プラクティス」という用語で紹介されている。身体(Body)・こころ(Mind)・霊(Spirit)等、人間の存在と活動のあらゆる領域を包括する、統合的な成長を目指す取り組みである。ILPは、ケン・ウィルバーが主宰するインテグラル・インスティテュート(I-I)で提供しているプログラムの名称であり、ITPは、統合的実践全般を指す。

主著"Sex, Ecology, Spirituality: The Spirit of Evolution"(邦訳『進化の構造』)において、ウィルバーは、AQAL をはじめとするインテグラル思想の枠組みを提示した。ILPは、AQALの枠組みに基づいて構築された実践のメソッドであり、それまでのヒューマン・ポテンシャル運動やトランスパーソナル運動における自己成長の取り組みの問題点(体験主義・刹那主義・反知性主義・発達のインバランス等)を踏まえ、対案を提供するものになっている。


ILPプログラムの開発にあたっては、東西の霊性的伝統の指導者・心理学者・セラピスト・武道やヨガ等の専門家が協力し、最も効果が期待できる実践を抽出した。ILP用に、一から開発されたプログラムもある。


ILPプログラムの概要及び特徴は次のようなものである。インテグラル・ジャパンで行っているITPプログラムも基本的にこれを踏襲している。

  • モジュール・システム:Body・Mind・Spirit・Shadowの4つの基本モジュールと、倫理・仕事・感情・人間関係等の補助モジュールから構成される。
  • 同時並行的実践(クロストレーニング)の推奨:例えばSpirit領域の実践だけをひたすら行うのではなく、AQALの複数領域の実践を同時に行っていくことが推奨される。人間には、認知能力・倫理・感情・自己同一性・対人関係能力等、複数の発達ラインがあり、全てに渡ってよく発達していることはまずありえない。バランスの取れた、統合的成長のためには、様々な発達ラインに働きかけることが望ましいため、単一領域に偏らない実践が必要である。また、クロストレーニングを行うことにより、個々の領域・ラインの成長を加速し、定着を促す相乗効果も期待できる。人間存在にとって根本的に重要な4つの基本モジュールにまず取り組むことが推奨されている。
  • 理論的枠組みの重要性:ILPの様々な実践をまとめ、真に統合的成長に資するものにするためには、理論的枠組みの理解が不可欠である。例えば、エアロビクスとヨガとウェイトリフティングに取り組んでも、主として全てBody領域の実践であり、これだけではILPのいう意味でのクロストレーニングにはならない。Mind領域の実践の一環として、AQALの枠組みの基礎を学ぶことが推奨されている。
  • 自由度の高さ:基本モジュール、及び補助モジュールのうち五つについては、I-Iの専門家が開発した「推奨プラクティス」が存在するが、具体的にどの実践を行っていくかは各実践者の選択に任されている。また、実践に割くことができる時間やエネルギー、あるいは実践に取り組む意欲のレベルに応じて、プログラム全体も調整可能である。
  • 主体的な取り組みの必要性:上記で明らかなように、ILPは実践者の主体的な取り組みを要求する。ワークショップで、高次の意識状態を経験したとしても、そのままではその経験はいつか消え失せる。各実践者が、それぞれの生きている場で、主体的に、継続して取り組むことが前提とされている。
  • 「それそのもののために」:ILPは、意識構造そのものの変容を伴う人間の持続的成長を促すものであるが、実践に取り組むにあたっては、「それそのもののために」(for its own sake)という態度を重視する。現代社会には、「よい成績をとるために勉強する」や「痩せるために運動をする」等に見られるように、目的や報酬等、将来において獲得される何ものかのために何かをすることを重視する価値観が根強く存在する。もちろん、目的をもつことは悪いことではないが、ILPでは、こうした目的志向のありかたの限界を克服するために、まずひとつひとつの活動そのものに価値があるという姿勢を修得することの重要性を強調する。自分がそのとき行っていることに集中し、一瞬一瞬に気づきの目を向け、その瞬間を十全に生きることは、あらゆる瞑想修業の基本であるが、人生の様々な瞬間・局面にこれを応用することをILPは提案するのである。そうすることを通して、長期的成長も可能になる、というのがILPの主張である。

上記は、個人の統合的成長のためのプログラムについて述べたものであるが、ITP/ILPというアプローチは集団に対しても有効であり、リーダーシップ・プログラム等、集団向けのプログラムも開発されている。


参考資料

Ken Wilber (1997). The Eye of Spirit: An integral vision for a world gone slightly mad. Boston: Shambhala.[邦訳:ケン・ウィルバー、松永 太郎訳(2004)『統合心理学への道−「知」の眼から「観想」の眼へ』春秋社]
Ken Wilber (2006). Integral Spirituality: A startling new role for religion in the modern and postmodern world. Boston: Shambhala.
Ken Wilber, Terry Patten, Adam Leonard, and Marco Morelli (in press). Integral Life Practice: How to design your own training program for body, mind, and spirit.
George Leonard and Michael Murphy (1995/2005). The Life We Are Given: A long-term program for realizing the potential of body, mind, heart, and soul. New York: Penguin Group.

関連用語: AQALを参照のこと。

前後の混同 ("Pre/Trans Fallacy"あるいは"Pre/Post Confusion")

鈴木 規夫

前後の混同とは次のようなものである。前合理的("prerational")段階の意識と後合理的("postrational")段階の意識は共に非合理的であるために、訓練を受けていない観察者の視点には、それらは似たものとして、あるいは、同じものとして映ることになる。「前」と「後」が混同されると、下記のうちどちらかの誤解が発生することになる:

  1. 還元主義的混同(reductionism):全ての後合理的段階の意識が前合理的段階に還元されることになる。こうした誤解が発生する場合、例えば、高次の意識構造を基盤とする神秘体験は幼児的な自他融即状態への退嬰として解釈されることになる。こうした発想においては、合理性段階が人間の発達の頂点として想定される。必然的に、非合理的な現象は自動的に前合理性の範疇にあるものとして見做されることになるのである。
  1. 上昇主義的混同(elevationism):全ての前合理的段階の意識が後合理的段階に昇格されることになる。こうした誤解が発生する場合、例えば、幼児的な自他混同状態は自他の境界を超越する霊的叡智を内包するものとして解釈されることになる。こうした発想においては、合理性段階は人間を阻害状態に呪縛する「罪」あるいは「病」として想定される。必然的に、非合理的な現象は自動的に人間をこうした呪縛から解放するものとして賛美されることになるのである。

KWの指摘するように、20世紀は上記の2種類の混同が自己の正当性を主張して闘争をくりひろげた時代であった。総じて、還元主義的思潮が世界を支配したわけだが、しかし、1960時代以降には、そうした状況に対抗するかたちで、上昇主義的思潮が伸張することになる。ただ、こうした上昇主義的運動は、諸々のNew Age運動の発想に典型的に体現されるように、合理性にたいする忌避を基盤として、あらゆる非合理的な発想を後合理的なものとして無防備に称揚する倒錯した発想を蔓延させる傾向にある。


こうした混乱した思想状況において、人間の発達を包括的に検討するときに重要となるのは、あらためて人間の発達の基礎段階を理解することである。こうした作業をすることにより、後合理的段階についての理解を着実にすることが可能となるのである。


参考文献

Ken Wilber (1995/2000). Sex, ecology, spirituality: The spirit of evolution (Second Edition). Boston: Shambhala.

カテゴリー・エラー(Category Error)

鈴木 規夫

世界を探求する際、探求の対象領域に適合しない認識の枠組を使用することを「カテゴリー・エラー」(Category Error)という。


インテグラル思想は、世界は大別して物質圏(physiosphere)・生物圏(biosphere)・意識圏(noosphere)・霊性圏(theosphere)という階層的に存在する「圏」("spheres")により構成されていると設定している。そして、各圏を認知・探求するためには、それを歪曲することなく開示することのできる適切な視点(「目」)が必要とされる。


具体的には、Ken Wilberは、上記の各圏に対応する目を下記のように設定している。

  • 物質圏(physiosphere)=肉の目(the eye of flesh)
  • 生物圏(biosphere)=感情の目(the eye of heart)
  • 意識圏(noosphere)=知性の目(the eye of mind)
  • 霊性圏(theosphere)=観照の目(the eye of contemplation)

例えば、今日、霊性にたいする懐疑主義者のあいだでしばしば見られるカテゴリー・エラーとして、霊性圏を「知性の目」だけをとおして探求しようとするというものがある。こうした態度は、必然的に、知性をとおしては最終的には十全に把握することのできない霊性圏を歪曲・誤解することにつながる。観察の対象領域とは、本質的には、それを開示・照明するための適切な目(認知能力)を開発した観察者だけに存在するものである。霊性圏の探求において、霊性圏を開示・照明するための必要条件である「観照の目」を開発することなく、「知性の目」をもちいることは、対象の矮小化、あるいは、否定・拒絶につながることになるのである。


Category Errorという概念は、また、階層的に存在する圏のみならず、AQALに並存する各価値領域の独自性を尊重するためにも効果的に適用することができる。


KWは、AQALを三大領域("the Big Three")に大別しており、各領域は独自の基準にもとづいて価値判断をすると説明している。具体的には、各領域は下記のような価値を機軸として主張(行動)の妥当性の判断をする

  • Upper Left(I)=美(Beauty)=主張が主張者の誠実性にもとづいたものであることが重視される(authenticity・sincerity)
  • Lower Left(We)=善(Good)=主張が共同体の他の構成員との関係性を尊重するものであることが重視される(justness)
  • Upper Right & Lower Right(It/s)=真(True)=主張が客観的・物理的な事実と適合していることを重視される(functional fit)

例えば、今日、非常に頻繁に見られるカテゴリー・エラーのひとつとしては、下記のものがあげられる。自己の内的真実に誠実であることを重視することの結果、そうした誠実な意図にもとづいた行動が、他者との関係性において、いかなる意味をもつことになるのかを検討することを忌避する内面主義、あるいは、自己中心主義である。ここでは、ULの価値観である誠実性が排他的に重視されることにより、LLの価値観である関係性の尊重が犠牲にされることになるのである。


歴史が証明するように、大量破壊や大量殺戮はしばしば純粋な誠意にもとづいて行われてきた。誠意という価値観を絶対化することは、必ず、深刻な盲点を醸成することになるのである。

ある行為の妥当性は、それが行為者の誠意にもとづいたものであるかという視点だけでなく、また、それが共同体の他の構成員との関係性を尊重するものであるのか(LL)、そして、それが物理的な生存条件に対応するものであるのかという視点を考慮したうえで判断されなければならないのである。

参考文献

Ken Wilber (1995/1999). The collected works of Ken Wilber, Volume Three. Boston: Shambhala.
Ken Wilber (1995/2000). Sex, ecology, spirituality: The spirit of evolution (Second Edition). Boston: Shambhala.

AQAL

高橋 恵介

ALL Quadrants(全象限・四象限)、ALL Levels(全レベル)の略語。AQALアプローチそのものがインテグラル思想であるとも言える。インテグラル思想の基本的な発想は次のように説明することができる:

1. 存在するあらゆる視点は必ず真実と盲点を含んでいる。
2. 大事なのはどれかを選択するのでなく、視点間の関係性を理解していこと。

AQALを使って何ができるのだろうか? これに関しては、次の二つが考えられる。すなわち、自己と世界を理論的に理解すること(理論的側面)、そして、具体的な行動へと自己を導くこと(実践的側面)である。


理論的な側面としては、あらゆる視点――科学・宗教・心理学・哲学・芸術・社会学等――を統合的に理解することが可能となる(これに関しては、AQALはこれまでに類似のものが見当たらないほど包括的かつ説得力のある試みであると書き留めておきたい)。


実践的な側面としては、全象限、全レベルにおける実践がある。すなわち、一人称の実践・二人称の実践・三人称の実践と、そして、 私たちの主要な身心のレベルすべて――ボディ・マインド・ソウル・スピリット――の実践がある。 詳しくは詳細ページで述べるが、このような包括的かつ統合的な実践を、インテグラル思想ではインテグラルな実践(Integral Practices)と呼んでいる。


詳細ページで展開する内容は、主にケン・ウィルバーの『万物の歴史』、『統合的心理学への道』、『ワン・テイスト』における論考を元にまとめたものである。一部、冒頭の「メガネの例」等、参考文献にない図表を扱ったものがあるが、解釈そのものは全面的にウィルバーのインテグラル思想に依拠しているものであることをここに明記しておきたい。


参考文献

ケン・ウィルバー(著)岡野 守也(翻訳)『万物の理論』トランスビュー(邦訳2002年)
ケン・ウィルバー(著)吉田 豊(翻訳)『科学と宗教の統合』春秋社(邦訳2000年)
ケン・ウィルバー(著)大野 純一(翻訳)『万物の歴史』春秋社(邦訳1996年)
ケン・ウィルバー(著)松永 太郎(翻訳)『進化の構造』(1・2)春秋社(邦訳1998年)
鈴木 規夫 「統合的変容のための実践」(2006年)
鈴木 規夫 「ケン・ウィルバー紹介 〜インテグラル思想入門〜」(2006年)