自分の人生の「指揮者」になる
――"Body, Mind, Soul, Spirit"を統合する実践―― 

藤井 ゆき

人間は、ボディ(身体)・マインド(心)・ソウル・スピリットという側面を合わせ持った存在です。
これらのどの部分が欠けても、全体としての個人はバランスを崩してしまいます。このボディ・マインド・ソウル・スピリットという領域には、人が健康に豊かな人生を送るための秘訣が潜んでいるのです。

 

1.すべての領域にわたる実践を自分でデザインする

今回は、ITPがボディ・マインド・ソウル・スピリットを統合する実践であるという話をしたいと思います。前回のエッセイでご紹介した通り、ITPは継続的に実践に取り組むことを通して、自己の深い変化を目指す取り組みです。

ITPの集まりに参加すると、ITPの主旨を理解した上で、初めに、自分で自分の実践のデザインを行います。そのための最初のステップとして、ボディ(身体)・マインド(心)・ソウル・スピリットのそれぞれの領域で、どのようなことを自らが日常的に行っているかということの確認を行います。そして、現在の実践状況を確認した上で、アンバランスを解消し、自分がなりたいと思う将来像を実現するために必要な実践を付け加えていく作業を行うのです。

現在の自分の実践を振り返るということは、どうということのない作業のように思えるかもしれませんが、実はITPに参加しはじめた二年前の私にとっては苦痛を伴うものでした。

では、なぜその作業が、私には苦痛だったのでしょうか。

 

2.「指揮者のいないオーケストラ」の状態だった私

ボディ・マインド・ソウル・スピリットの各領域の「どれか」ではなく「どれも」実践する、そして、それらの実践を自分でデザインするということに、私は非常に抵抗を感じました。

それは、私が行っていた実践に偏りがあったから、また自分が好きな実践だけをやって「これで十分なはず」と満足していたからではないかと思います。
あるいは、当時の私は、どこか奢ったところがあって、「自分は成長する必要はない」と信じたいと思っていたからだと思います。
ある体操や健康法を実行したらいいのでは、あるセラピーを受けたら(あるいは、ある学問を学んだら、ある瞑想を行ったら……など)と思い、それらに飛びついては飽きて止めることを繰り返していました。
私は、「これさえやればいい」「これさえやれば、すべての問題が解決する」という方法を探していました。
しかし、「これだけやればいい」というものはなかったのです。
ボディ・マインド・ソウル・スピリットの各々の領域で実践を行っていくために、各領域を見渡し、自分の実践全体をデザインする必要があったのでした。

これは、自分の人生の、各領域をまとめ、統括する「指揮者」になるようなイメージでしょうか。

各領域とは、まずボディ、つまり身体です。ボディの領域の実践は、ジョギングや、いわゆるエアロビクス、水泳などの有酸素運動、そして筋力トレーニング、ストレッチ系の運動などが含まれます。
次に、マインド、心の領域があります。マインドで特に重要と思われる、理性の実践としては、何かの理論を学んだり、読書をしたり、理性を用いて問題解決をしたりすることなどが考えられます。
そして、ソウル、スピリット。これは、わかりやすく言うと、信念を持って自分を高めたり、あるいは個人を超えるような忘我の境地を体験したりすることだと思います。信仰や、自分の「道」に打ち込むこと、自然の中に入ることなども、ソウルを育て、スピリットを感じることにつながるかもしれません。ソウルやスピリットに関する実践としては、まず瞑想があげられます。また、音楽や絵画などの芸術活動に従事したり、仕事や日常の作業に打ち込んだり、誰かや何かのために夢中で貢献したりすることも、ソウル、スピリットに関する実践と言えます。

(これらの領域の実践に加え、「シャドウ」を統合する実践をITPでは行いますが、この「シャドウ」に関する実践については、改めて別の機会に詳しくご紹介したいと思います。また、今回は詳しく扱いませんが、情緒に関係した実践や金銭の管理など、複数の領域に関係する実践もあります。)

考えてみると、人間は身体や心など、一部分だけで構成されているわけではないのに、「この実践さえ、やればいいだろう」と考えるのは、非常に安易な考えだと言えそうです。言うなれば、オーケストラを編成しなければならないのに、バイオリンやビオラを一本だけ買って満足しているようなものかもしれません。

そして、以前の私は「自分のすべてを指導してくれる師」、「何でも指示してくれる師」を探していました。今考えてみると、これはまったく人まかせな態度でした。
自分が、人生というオーケストラの指揮者、あるいは人生という映画の(またはスポーツなどのチームの)監督にならなければならないのに、その役割を、どこかの誰かに委ねて責任放棄しようとしていたのです。
人まかせにするのは楽だけれど、その人が私を理解し、私の人生を上手く運んでくれるという確証はどこにもありません。
しかし(そして当然と言えるかもしれませんが)、何でも指導して導いてくれるような人は見つかりませんでした。また、ITPという実践の場も、何でも教えてくれる教祖のような人がいる場所ではありませんでした。

ITPは、依存しあうのではなく、自立した個としてまず存在した上で、協調する場でした。
自分の実践のためには、自らで考え、自分で師を見付ける必要があるのでした。師は自分で探せと言われて、私は初め、戸惑いました。各分野において、優れた人、そして自分に適した実践をどのように見つけたらよいのか、見当がつかなかったからです。
しかし、師と呼ぶのにふさわしい、優れた人・実力者は、自然とわかるようになってくるものです。人に教えることが許されるような、優れた人がどういう人なのかについては、ITPを続けるにつれて、徐々にわかるようになって来たように思います。

個人が一台の車だと考えても、自分の車のハンドルを人に任せきりでは、いけません。
また、タイヤ、ブレーキなどの足回りが弱っているのに、車の内装や塗装ばかりを念入りに磨き上げているとしたら、どうでしょうか。どこからトラブルが起こるかは容易に想像がつくでしょう。そう、一番弱っている足回りから「がたが来る」のです。
逆に、足回りがしっかりしていても、車体がこんにゃくのようにフニャフニャだったり、天井が紙のように薄かったりしたらどうでしょうか。スピードを上げたり、雨や雪が降ったりした際に、車体や天井が壊れるのは眼に見えています。
各領域で自分のやるべきことを考えて、実践することが必要なのです。

「調子が悪いから、これをやらなきゃ」と思い、私が実戦していた方法は、得意な分野を更に補強することにすぎませんでした。自分の弱い部分は、手付かずで放置されていました。
例えば、部屋に閉じこもって食べたり、あれこれ考えたりしてばかり、そして運動不足で調子が悪い時に、私が行ったのは、体を動かすことではなく、ためになりそうだと思う本を買い込んで読むことでした。そういう本を読むことは、普段から十分行っているのに、です。
これは、たとえてみると、オーケストラで主旋律を奏でる弦楽器が少なく、トランペットがすでに6人もいるのに、「バランスが悪い」とさらにトランペットの人数を増やすようなことだったかもしれないと思います。
たとえば野球でも、外野手ばかりを増やしても、逆にピッチャーだけをそろえても、チームとしてバランスの良い力を持っていないと、勝つことは難しいでしょう。

ITPでは、全体でのダイアログの中や、少人数でのコホート・グループを通じて、各人の実践について振り返りや報告を行います。私は、ボディの実践が不足していると自己分析しました。他の人も同様かと思っていたら、「私は、体ばかり鍛えて、瞑想などのスピリットの実践をほとんどしていない」などという参加者の人もいたので、興味深く思いました。

このように、ITPで自分を振り返る機会を得て初めて、実践を行い日常生活を送る上で、監督や指揮者のような立場からの視野が自分に欠けていたことに私は気づくことができました。

以前の私は、ある時期には、興味の持てることに打ち込んではいても、広い視野に欠けており、実践に偏りがありました。例えば、学生時代、部活動に参加すると、その内容に夢中になるのはいいのですが、他のことが眼中に入らなくなるのです。もちろん、ひとつのことに打ち込むことで得たものはたくさんありますが、当時の私は、自己の置かれている状況を冷静に分析し、バランスの取れた実践を行うことができていたとは言い難い状況でした。吹奏楽に熱中していた時には結果的に運動不足気味になってしまったり、あるいは陸上部に所属していた時には(早く体重を落とそうと、ほとんど炭水化物を取らずに走り続けていたため)貧血になったりしたことを記憶しています。

また、ある時期には、自己の成長を目指すよりも、ショッピングや娯楽など、お金を使って楽しむことに目が向いていたこともありました。その頃は、身体を鍛えたり知性を磨いたりすることや、自分を高めて何かのために貢献しようとしたりすることなどにはあまり関心がありませんでした。
あるいは、「私は、そのままで完全なのだ」と思い込み、自分を成長させるための努力を放棄しようとしていたこともありました。

ITPを始めるまでの私の各領域(身体・心・ソウル・スピリット)は、指揮者のいないオーケストラのような状態だったと言えます。バランスも何もあったものではありませんでした。

 

3. 統合的なトレーニングを始めて

この各領域に配慮した実践を行うことは、辛い部分もありました。自分の弱い部分に目を向け、慣れないトレーニングを行うことが求められるからです。
私の場合は、ボディの領域で、特に有酸素運動や筋力トレーニングを行うことができていなかったので、それらを日常生活に取り入れるよう心がけてみました。
  身体を動かすのは久しぶりだったので、走ったり、スポーツクラブのマシンでトレーニングを行ったりすることは、苦しく感じることもありました。

しかし、トレーニングを続けるうちに、自分が不得意だと思い避けている領域を鍛えたほうが、心身の調子は良くなることに気づきました。調子が落ちる前に、ぐっと底上げされ、活力が出てくる感じがするのです。私の場合は、きちんと運動などのボディ領域の実践を行っていたほうが、風邪をひいたり落ち込んだりしにくく、爽快な気分が長続きすることに気がつきました。

ITPで各領域のトレーニングを行い、様々な領域のトレーニングを組み合わせることで、突発的な変化が起きるだけではなく、その変化・効果が持続しているように感じます。
少しずつ、大きな変化・成長に向けての準備が進められているようで、うれしく思います。

ワークは、突発的、イベント的に行うのではなく、効果を上げ、それを持続させるためには、日常生活の中に組み入れる必要があります。無理なく、長く続けられることが大切です。

ITPを続けることで、自分の各領域を客観的に見る眼が少しずつ養われてきているように感じます。それぞれの領域について考え、各領域の活動をデザインすることが苦痛でなくなってきました。

苦手だと思っていた分野でも、できることが増えてくると楽しくなるものです。

考えてみると、この「各領域をバランスよく鍛える」ということは、ごく当たり前で自然なことかもしれません。だから、一度できるようになると、ITPの実践、考え方は(リバウンドや、途中で飽きて投げ出すということがなく)続けることができるのではないかと思います。

身体の領域の実践を行うにあたって、励まされた言葉があります。それは、ボディ領域に詳しい、あるITP参加者の方が紹介してくれた、「実践によって、骨格も変えることができる」という言葉です。運動によって脂肪を落としたり、筋肉を増やしたりすることができることはよく知られていますが、運動をすることによって、一見、容易には変わらないように思える骨までも、成長させることができるのです。トレーニングを続けることは、思った以上に大きな影響を身体に与え、身体を創っていくのだなあと感じました。

私も、ITPで紹介されたボディ領域のワーク等を参考に、自分の身体を分析し、歩き方や姿勢を普段から意識するよう心がけてみました。また、ウェイトを利用し、あまり使っていなかった筋肉をきちんと使うことを試みました。
その結果、身体の左右のバランスが良くなり、これまでよりも安定して、また楽に様々な動作を取ることができるようになってきました。
立ち上がったり、歩いたりする際に、より適切な位置に体重がかけられるようになってきたことで、欠けていた土台に新しい「軸」ができつつあるように感じられます。これは、些細な変化にすぎませんでしたが、個人的な実感としては予想以上のものがありました。

身体の変化とともに、感情も安定してきました。また、日常生活の中での感じ方も変わってきました。しっかりと大地を踏みしめて歩くだけでも歓びを感じるなど、感謝や歓びを感じることが増えたように思います。

どうやら、ITPを行うことによって、これまで弱かった部分を補うことができつつあるようです。
ITPは、適切に実践されれば、脆弱な側面を鍛え、優れた部分を更に伸ばすことにつながると言えそうです。

 

4. 自分の人生の「タクト(指揮棒)」を振るために

以前の私は、目標や目的、進むべき方向性が見出せませんでした。しかし、インテグラル思想とITPとを知り、少しずつですが、内面も変化してきたと思います。
日常生活を営む中で、何に価値を見出し、どう行動していくか。そのための重要な指針をITPは提示してくれました。
これは、研究会でケン・ウィルバーの著作を読んだり、ITPでダイアログを始めとする様々なワークを他の参加者と共に行ったりしたことの影響が大きかったと思います。

また、コミュニティを通じて、仲間が得られたように思います。これは、非常に心強いものだと感じています。コミュニティが形成されているおかげで、どのような実践を行ったらよいのか、日々の壁にぶつかった時も、ヒントを得ることができるからです。

そして、さきほども述べましたが、ITPのコミュニティに参加しているおかげで、少しだけ各領域を見渡すことができるようになってきたように思います。
様々な領域を統合する、自分の人生の指揮者として、ボディ・マインド・ソウル・スピリットの各領域を見通すことのできる場所に立つことができはじめたのであればうれしく思います。
まだ、指揮台に立つだけで精一杯で、上手に「タクト」を振るところまでは至っていませんが……。油断しているとすぐにそこから降りてしまっています。しかし、自分の各領域を見渡すことのできる「指揮台」に立つことが大切だということは、やっとはっきりと理解できたように思います。そして、これからいい演奏をぜひしてみたいと思うようになりました。

もしも、ITPに出会わず、ITPを実践していなかったらどうだったでしょうか。
いまだに、いろんなワークや理論や商品に手を出しては飽きて、ということを繰り返していただろうと思います。そして、私の個人的に弱い領域であった身体をないがしろにし、トラブルを起こしたり、バランスを崩して精神的に落ち込んだりすることを繰り返していたのではないかと思います。
また、人生の目的がわからないまま、自己憐憫に陥ったり自我肥大を起こしたりすることが激しくなり、生きていくための方向性を見失ってしまっていた可能性が高いのではないかと思います。

ボディ・マインド・ソウル・スピリットという各領域での自分の現実を見つめることにより、根拠のないうぬぼれや自意識過剰からも、少し抜け出すことができたかもしれないと感じています。
以前のような、「私はそのままで、完全ですばらしい」という、甘い幻想に浸ることは少なくなってきました(しかし、それは甘美なだけではなく、どこか「いらだち」や不安を伴った幻想でした。自分が不完全であることを心のどこかではわかっているのに、それを認めようとしていなかったために、「いらだち」や不安を感じていたのかもしれません)。

そして、様々な分野で、自分よりも優れた実践者や専門家がいることを素直に認められるようになってきました。ITPの集まりでは、それぞれの領域での知識を踏まえた実践、トレーニング法をお互いに紹介することを行います。身体を鍛えている人、知性を磨いている人、瞑想法などの実践に長けた人、それぞれから具体的な実践方法を紹介してもらえる機会がありました。そんな中で、「この領域では、知識も経験も、『圧倒的』と言えるものをこの人は持っているな」と思える人に出会うことができているのです。

ITPに出会い、以前よりも、自分の現状を直視し認めることができるようになってきたと思います。そして、これから歩むべき道のりが用意されているということがわかってきたように感じています。
これは、すばらしい師に出会い、新しい習い事やスポーツを始めた時のような、ある種、謙虚な気持ちと、やる気と、わくわくするような期待感に満ちた感覚です。

ITPは、アメリカを始めとする各国において、また日本においても、企業のマネージャー層のトレーニング等に用いられ、すでに効果を上げているものです。

人まかせではなく自分の手で、私の人生というオーケストラの「タクト」を振るために、ITPは貴重な視座を与えてくれました。これは、他の様々な活動では得ることのできなかったものなので、非常に感謝しています。
これからやるべきことは多いのだと思いますが、そのオーケストラをさらに良い音で響かせることができるようになるために、これからもITPを続けていこうと考えています。

私は、ボディが弱かったのですが、どの領域の実践が不足しているのかは、人によって違います。あなたは、もしかしたらマインドの実践が不足しているかもしれませんし、スピリットの実践が不足しているかもしれません。あるいは、私と同じようにボディの実践が欠けているかもしれません。

そして、自分に欠けている面が明らかになっても、一度バランスを取ったら終わりというものではありません。ですから、ずっと実践を継続しながら、バランスを取り続ける必要があります。各領域の実践を無理なく続けられるように、活動を日常生活に組み入れ、それぞれの領域の実践を楽しみながら行っていくことができればありがたいなあと思います。

参考文献

Ken Wilber (1999). One taste: The journals of Ken Wilber. Boston: Shambhala.

鈴木 規夫(2006)「統合的変容のための実践(Integral Transformative Practice):トランスパーソナル思想の統合的実践のための理論的枠組」 Available at http://www.integraljapan.net/articles/for_itp_1.htm