Sex, Ecology, Spirituality: The Spirit of Evolution(Part Ten) 

鈴木 規夫

Chapter 14: The Unpacking of God

意識の進化とは、Evolution(上昇のダイナミクス)とInvolution(下降のダイナミクス)の結節点に発生する現象であることをKen Wilber(KW)は主張する。そして、人間は意識の深化への誘いとして感得される自己の潜在性の疼きを意識の持続的構造として構築することを要求される。自己の直感する深層性に適切に対応する構造を構築することができたとき、人間は初めてそれを十全に尊重することができたということができるのである。

周知のように、インテグラル思想においては、Body・Mind・Heart・Soul・Spiritの各領域を包含する全人格的な探求と実践(Integral Transformative Practice・Integral Life Practice)にとりくむことが強調される。こうした問題意識は、人間が、自己の感得する深層性を時空間において解釈・体現するためには、自己に付与されている器をとおして表現する存在であることにたいする認識があるのである。

とりわけ、意志の基盤としてのMindは、深層性の解釈と統合のために、非常に重要な機能を果たすことになる。ある意味では、KWにとり、執筆活動とは、統合的実践というとりくみを促進するための解釈と統合の枠組を提供することを目的とした営みであるということができるのである。

これまでに省察してきたように、あらゆる深層性は解釈される必要がある。そして、それをわれわれがいかに解釈するかということは、その顕現のために非常に重要となるのである。新たな深層性は新たな解釈を可能とする。新たな解釈は、その深層性を共同創造する、あるいは、その深層性を誕生させるのである。その深層性を解釈するとは、その深層性を誕生させることなのである。(KW, 1995/2000, p. 522)

こうした問題意識にもとづいて、KWは、深層性を感得することにくわえて、深層性を適切に解釈("unpack")することの重要性を指摘する(尚、世界の顕現における、観察主体と観察対象の共同創造にたいする詳細な論述はKosmic Karma and Creativityを参照していただきたい)。

実際、Flatlandという時代精神の支配のもと、自己の霊的直感に包括的・統合的な解釈をほどこすことは必ずしも容易なことではない。今日、蔓延する霊的直感の典型的な解釈形態として、KWは下記を挙げている。

  • 霊的直感を「高次の自己」として排他的に解釈する解釈形態(Ego camp)

個人の内面(UL)に傾斜するこうした解釈形態は、集合の内面(LL)と外面(URとLR)を排除・軽視するために、結果として、それらの領域に関する緻密な洞察をすることに失敗することになる。具体的には、これは、例えば、高次の意識の持続的確立を可能とするためには、いかなる文化空間(LL)と社会空間(LR)が必要とされるのかという問題に関する緻密な洞察の欠如として結実することになる。また、こうした発想は、霊がAQALとして顕現するものであることを無視・軽視するものであるために、集合領域の抱擁という霊的探求の責務から個人を乖離させることになる危険を内蔵している(Phobos)。

一般的に、こうした解釈形態を基盤とする霊性は、自己の主観的な領域への没入に窮極的な目標を設定するために、結果として、世界にたいする関心を世界にたいする執着として解釈する傾向にある。また、こうした霊性は、「自己探求」・「自己実現」・「自己超越」等、自己の内面領域の開拓に過度に執着する実践形態を採ることになるが、そこでは、しばしば、「高次の自己」の発見がAQALに発生するあらゆる問題の窮極的な解決策であると結論する視野狭窄が擁護されることになる。

  • 霊的直感を「現象世界の総和」として排他的に解釈する解釈形態(Eco camp)

外面(URとLR)に傾斜するこうした解釈形態は、内面(ULとLL)を排除・軽視するために、結果として、それらの領域に関する緻密な洞察をすることに失敗することになる。具体的には、これは、世界の真実としての有機的関係性にたいする洞察が、知識ではなく、実際の行動論理の変容を生み出すためには、いかなる内的成長が必要とされるのかという問題に関する緻密な洞察の欠如として結実することになる。こうした発想は、問題の所在を意識の内容(contents)に見出すために、主体の拠所である意識の構造(structure)の変容という重要な課題を見失わせる危険を内蔵している。

発達心理学の調査・研究が示唆するように、価値観・世界観とは、基本的に、あらゆる発達段階の意識構造をとおして解釈・統合することのできるものである。AQALに発生する問題とは、常に、意識の内容(contents)と意識の構造(structure)の両方に起因するものであり、単なる前者の交換をとおしては、問題を解決することはできない。一般的に、こうした解釈形態を基盤とする霊性は、世界の礼賛と抱擁を窮極的な目標として設定するために、結果として、意識構造の変容の重要な契機となる内面領域の探求を忌避することにある。必然的に、そこでは、意識構造の変容という問題解決のための重要要素が無視・軽視されることになるのである(Thanatos)。

Flatlandという時代精神のもとに展開される上記の霊性をKWは、"Boomeritis Spirituality"と形容して、SES以降に発表した著作のなかで、それにたいする詳細な批判をくわえている(cf. Wilber, 2000)。

Incomplete or Uncertain

AQALに存在するあらゆるHolonはwhole/partである――KWは、最終章の主題である統合的な解釈についての説明を補完するために、SESの基本命題であるHolonの法則を確認する。

……重要なことは、あらゆるHolonはwhole/partであるということである。顕現世界のどこにも、全体(whole)は存在せず、また、部分(part)は存在しない。whole/partだけが存在するのである。もしどこかに全体や部分が存在するのであれば、それらは安息することができるはずである。それらは純粋に自己のありのままであることができるだろう。そこには、不安定性(instability)や「自己矛盾」(self-contradiction)など存在するはずがないのである。しかし、あらゆるHolonは同時にwhole/partである。それは自己の構造のなかに二元性の緊張感を内包しているのである。全体性としては、それは、ひとつの存在として持続的に存在するためには、ある程度の調和性(coherence)と一貫性(consistency)を達成しなければならない……。
しかし、部分性としては、他のHolonの部分としては、それは、自己の限定性(partialness)と不完全性(incompleteness)を抱擁しなければならない。それができなければ、それは、適応することができない。部分として存在することができず、常に孤立した全体性として漂流することになるのである。完全であるためには、あるいは、自己を完結させるためには、それは自己よりも大きな力と結びつかなければならないのである。従って、whole/partとして、常に調和性(coherence)と一貫性(consistency)、そして、限定性(partialness)と不完全性(incompleteness)のあいだに発生する緊張が存在しているのである。
そして、一方が大きくなれば、一方が少なくなる。Holonを破壊することなしには、どちらも勝利することはできないのである。そのために、Holonは恒常的な不安定状態に置かれることになる。……(KW, 1995/2000, pp. 528-529)

Addition 2: Every holon issues an IOU to the Kosmos(IOU = Incomplete or Uncertain)

上記のように、あらゆるHolonは、whole/partとして、拮抗する2つのダイナミクスを内包する存在である。

Holonが、自己を自己完結しようとするとき、必然的に、それは自己の構造が許容することのできない他者("the other")を創造・排除することになる。全体性が志向する自己のcoherenceとconsistencyを確立しようとする方向性は、自己の不完全性(incompleteness)を増幅することになるのである。

Holonが自己を多様な要素を包含する包括的存在として確立としようとするとき、それは自己の均衡を崩壊しかねない混乱と混沌を醸成することになる。部分性が重視する自己のpartialnessとincompletenessに留意しようとする方向性は、自己の不安定性(uncertainty)を増幅することになるのである。

Holonは、構造的に、こうした問題を既存の構造の範囲では根本的に解決することはできない。それは、自己がIOU(Incomplete or Uncertain)であることを宣言することしかできないである。 *1

Addition 3: All IOUs are redeemed in Emptiness(IOU = Incomplete or Uncertain)

しかし、IOUの解決を目的として創発する高次のHolonは、実際にはIOUを解決することはできない。高次のHolonは、Holonであることをとおして、自己の構造に起因する独自のIOUを抱え込むことにならざるをえないのである。その意味では、KWの説明するように、時間軸のなかで展開する進化の過程をとおしては、IOUは解決されることはできないのである。

IOUが解決・解消されえるのは、「空」(Emptiness)においてのみなのである。

空とは全体でも部分でも全体・部分でもない。空とは全ての全体と部分の顕現を可能とする現実のことである。空において、主体(I)は、全体になることも、また、何らかの「偉大なる全体」(Great Big Whole)の部分になることもない。むしろ、空において、主体(I)は、全ての全体と部分の顕現の窓口(opening)あるいは空間(clearing)となるのである。そこをとおして、全ての全体と部分が永遠に顕現するのである。主体(I-I)とは、終焉することのないIOUの流れには参与することのない基盤のない基盤(groundless Ground)であり、空虚な深淵(empty Abyss)なのである。(KW, 1995/2000, p. 532)

Dark Shadow

空の認識は意識の質的変容をとおして可能となる。そして、それは必然的に実践を必要とすることになる。

しかし、Flatlandという時代精神の支配下において垂直性が否定されるとき、こうした意識の変容を志向する発想は、共同体の規範的な価値体系としては、否定されることになる。IOUの解決を達成した楽園(utopia)は、時空間の超越をとおしてではなく、あくまでも、時空間のなかに追求されることになるのである。こうして、Flatlandの精神に支配された世界空間において、意識の変容を機軸とする神秘的探求に替わり、政治的・経済的な営為が楽園の実現を保障とする実践として位置づけられることになるのである。

こうして、Flatlandという解釈体系の支配のもと、時空間(顕現世界)という有限領域は、無限性を体現する責務を背負わされ、そして、その重責のもとに呻吟することになるのである。

…垂直的潜在性は、[自己の高次の能力として]実現されないとき、単に水平的に投影されることにより、この有限の世界を無限の驚異を有する楽園世界に変貌させようとする全く不毛な計画を生み出すことになる。そうしたこころみは、進歩の証左として、果てしのない科学的進歩や物質的蓄積を志向するものであるかもしれない。あるいは、最終的な救済として政治的楽園を志向するものであるかもしれない。それがいかなるものであろうとも、それらは全て根本的には有限のうちに無限を求める無意味なこころみにすぎない。そして、それは、その過程において、この有限な世界にたいして、それが決して応えることのできない要求を衝きつけることをとおして、償うことのできない損害をあたえることになるのである。(KW, 1995/2000, p. 539)

窮極的には、無限領域の感得だけが成就することのできる霊的衝動の充足の責務を有限領域が背負わされるとき、必然的に、物質そのものが神秘性(numinosity)を体現する存在として認識されることになる。Flatlandの世界空間においては、物質の搾取が救済の方途となるのである。

Environmental Ethics: Holonic Ecology

Flatlandの支配的影響のもと、同時代が罹患するこうした解釈体系を克服する代替構想として、KWは"Holonic Ecology"を提唱する。これは、今日、人類が生物種として直面するEcologyの課題・問題にインテグラル思想の枠組を適用するときに、具体的にいかなる行動規範を提供することになるのかを例示するものでもある。

1. Ground Value

全ての現象(things・events)は、霊の完璧な顕現として平等な価値を有している。Ground Valueは、一般的な評価基準にもとづく価値付け(例:高低・聖俗・単純複雑)を超越して、あらゆる形態が空であることをとおして、根源的に体現する価値であるといえる。

2. Intrinsic Value(significance)

あらゆるHolonは、wholeとして、自己のそれそのものとしての価値をそなえている。Intrinsic Valueは、他者との関係性における有用性ではなく、Holonの自己完結した自立的存在としての価値を示すものである。

Intrinsic Valueは、Holonの深層性と対応して増大することになる。インテグラル思想において、深層性とは自己の内部に包含される垂直的階層数により規定されるが、それはすなわちHolonが内包する世界の垂直的階層数にほかならない。高度のIntrinsic Valueを体現するHolonとは、垂直的な意味において、広範の世界領域を包含する存在なのである。

高度の深層性を体現するHolonが持続的に存在することができるためには、そのための権利(rights)が保障される必要がある。換言すれば、AQAL内の存在としてHolonが持続的に存在することができるためには、AQALの各領域における必須条件が保障される必要があるのである。それらの条件が保障されない場合、Holonを崩壊に追い込むことになる条件――ここでの権利とはそうした意味において使用されている。

3. Extrinsic Value(fundamentalness)

あらゆるHolonは、partとして、自己をこえるものに寄与・貢献する道具としての価値をそなえている。多様な関係性に寄与・貢献することをとおして、Holonは、自己を超えるものの存立を可能とするのである。Extrinsic Valueは、こうしたHolonの他者との関係性における有用性を示す価値である。必然的に、Holonが多様な関係性の成立の必須要素であるとき、それは高度のExtrinsic Valueを体現しているということができるのである。

関係性のpartとして、Holonは、関係性の存立を可能とする諸々の条件を保障する責任(responsibility)を課されている。あらゆるHolonは、関係性に参与することをとおして、関係性を維持するための責任を背負うことになるのである。尚、権利と同様に、責任はHolonの深層性に対応して増大することになる。

今日、人類の生態系(生命維持機構)の破壊が惑星規模で急速に進行することにより危機意識が先鋭化する状況において、そうした危機意識を解釈して、具体的な建設的行動に結実していくためには、世界の階層性を考慮する価値体系が必要とされる。

KWの説明するように、今日、Ecology運動は、Herman Daly等の少数の例外を除き、こうした「重層的環境倫理」("multidimensional environmental ethics")を確立することができずにいる。とりわけ、Ground Valueという人間に構造的にそなわる感性とIntrinsic ValueとExtrinsic Valueという人間に認知構造の成熟によりもたらされる感性を統合することの必要性にたいする認識は、Flatlandという時代精神の支配のもと階層性が拒絶されるなかで、非常に困難な課題として経験されている。階層性の拒絶は、Ground Valueの排他的な尊重にもとづく「生態系平等主義」(bioequality)と形容しえる価値観を醸成するが、これは、あらゆる階層性に着眼する価値判断を拒絶するために、実際には、今日、人類が直面する課題・問題にたいする実務的・実践的な対応を麻痺させることになる。Ground Valueの的確な解釈の失敗は、こうして、今日、緊急に必要とされる生態系破壊にたいする効果的な対応を困難にしているのである。

At the Edge of History

KWが、その執筆活動をとおして一貫して主張しているように、著書の目的は読者を統合的実践("Integral Practice")へと誘うことである。そして、統合的実践とは、Basic Moral Intuition(BMI)("protect and promote the greatest depth for the greatest span")として自己の内部に感得されるSpiritの息づきの顕現領域(AQAL)における発現に献身的に参与することであるということができるだろう。

換言すれば、インテグラル思想とは、それが実践という文脈により補完されたときに初めて自己の意図を達成することができることを積極的に認識する営為であるということができるのである。その意味では、インテグラル思想をインテグラル思想たらしめる重要な要素のひとつとは自己のIOUを積極的に意識する自己内省的視点("self-reflexivity")なのである。そして、それは、本質的には、知性の活動としての自己の構造的な枠組を超越することを意図するものとならざるをえないのである。

しかし、留意するべきは、こうした問題意識は思想的探求という知的活動の重要性を些かも否定するものではないということである。統合的実践とは、自己がSpiritの顕現として自己の内部に感得する霊感をAQALに個的存在として生成する自己という器をとおして表現する行為である。そして、そこでは、必然的に、霊感の媒体としての「自己」が活用する解釈体系が非常に重要となるのである。つまり、統合的実践においては、知性とは、超越されるべきものであるとともに、また、超越が達成されることをとおして、その重要性が一層明確化するものなのである。

KWの洞察するように、今日、人類が対峙する問題とは、人類が霊感を喪失していることではない。霊感とは、Spiritの顕現として全ての存在にあたえられている基本条件であり、それはあらゆる瞬間において人類をインスパイアしつづけている。

具体的には、今日、霊感は、時空間に楽園を実現することを意図する諸々の旺盛な活動として、人類を衝き動かしている。ある意味では、Globalizationの機軸思想である大量消費主義とは、政治的・経済的な活動をとおして、楽園の実現を意図して時空間を人為的に変革することを志向する思想のひとつの窮極的形態ということができるだろう。 *2

むしろ、今日、人類が対峙する問題とは、Spiritの顕現として全ての存在にあたえられている霊感を適切に解釈することができないことにある。その結果、人類は、霊感を時空間に楽園を実現することを意図する諸々の活動に盲目的に邁進するという混乱状態に恒常的に陥ることになっている。こうした霊感の解釈が生態系の惑星規模での壊滅的な破壊を醸成していることを鑑みるとき、解釈体系の重要性が認識されるであろう。

統合的実践という文脈において、KWが知性の鍛錬を重視する背景には、それが具体的にAQAL内にいかなるかたちで霊感が解釈・体現されるかを規定するものであることにたいする認識が息づいている。そして、今日、人類が直面する「限界の時代」("an era of limits")(Wilber, 1995/2000, p. 764)においては、霊感の解釈という人類の活動の根源的側面("the Atman Project")における変容が必要とされることになるのである。21世紀における人類の集合的な課題とは、こうした深層的な性格のものとならざるをえないのである。

……Over-Soul・World-Soulを頻繁に鮮明に感得する人々の人数は惑星規模で増加しているとわたしは確信している。……
しかし、常にそうであるように、われわれは自己にあたえられた将来を創造しなければならない。そして、全てを包み込むWorld Soulの下降は、われわれがその直感を十全に解釈するその度合に応じて、正に促進されも妨害されもするというのがわたしの揺るぎない信念である。
……深層性は解釈を必要とする。そして、深層性をわれわれがいかに解釈するかは、深層性の誕生のために非常に重要な意味をもつことになる。新たな深層性はわれわれに新たな解釈を可能とする。新たな解釈はその深層性を共同創造することを、そして、それに生命をあたえ具体化することを可能とする。深層性を解釈するとは深層性を創発させることなのである。
われわれが霊感という貴重な贈物を注意深く解釈することができることを祈りたい。(Wilber, 1995/2000, pp. 521-522)

*1 尚、IOUの法則は、自律性(Agency)と関係性(Communion)というHolonが構造的に内蔵する2つの拮抗するダイナミクスとしても理解しえる。
*2 その意味では、人類の問題を「霊感の喪失」あるいは「霊との乖離」としてとらえるRetro-Romanticsの主張は霊性というものにたいする根本的な誤解にもとづいているのである。

参考資料

Brad Reynolds (2004). Embracing reality: The integral vision of Ken Wilber. NY: Jeremy P. Tarcher.
Brad Reynolds (2006). Where's Wilber at?: Ken Wilber's integral vision in the new millennium. St. Paul, MN: Paragon House.
Ken Wilber (1995/2000). Sex, ecology, spirituality: The spirit of evolution (Second Edition). Boston: Shambhala.
Ken Wilber (2000). A theory of everything: An integral vision for business, politics, science and spirituality. Boston: Shambhala.
Ken Wilber (2006). Integral spirituality: A startling new role for religion in the modern and postmodern world. Boston: Shambhala.