Sex, Ecology, Spirituality: The Spirit of Evolution(Part Seven) 

鈴木 規夫

Ken Wilber(KW)が説明するように、インテグラル思想はVision Logic(VL)段階の認知構造を基盤として構想される思想体系である。周知のように、VL段階の認知構造を特徴づける発想のひとつとして、対極性の統合("Polarity Integration"あるいは"Polarity Management")がある。これは、一般的に対極的なものとして対置される諸々の価値を相補的な関係にあるものとして認識して、それらを統合(管理)する発想ということができる。Chapter Nine〜Chapter Tenでは、KWは、こうした発想にもとづいて、霊的伝統に通流する普遍的なダイナミクスである上昇(Ascent)と下降(Descent)を相補的関係にあるものとして位置づけて、それらを統合するための視野を提供する。

Chapter Nine: The Way Up Is Way Down

Chapter Nineの冒頭、KWは、西欧文明の精神的な源泉がPlatoの「霊」("One")に関する洞察にあることを主張する。Platoは、Oneが言語化することが不可能なものであることを指摘したうえで、それにもとづいて発祥する2つの運動(movement)があることを説明する。

  • 下降(descent):OneのManyとしての創造的な顕現化の運動。これは世界創造の運動と形容できるもので、そこでは、OneがManyを根源的な善性("Goodness")の体現としてあまねく祝福をあたえる。
  • 上昇(ascent):Oneを志向するManyの自己回帰の運動。そこでは、Manyが純粋な善性("Good")への希求にもとづいてOneを探求する。

SESのなかでKWが繰り返して強調するように、世界の構造的なダイナミクスとして機能するこれらの相補的な運動を尊重・統合することの重要性を感得することは、あらゆる霊的実践の「完成」のための必須条件となる。しかし、実際には、西洋文明においては、これらの運動は、相補的なものとして統合されるのではなく、むしろ、相互に相容れないものとして対置され、今日にいたるまで文明を二分することになる。統合への契機を剥奪されたことの結果、これらの運動は相克するものとして固着することになる。

  • 上昇:One(other world)を排他的に志向することの結果、自然・身体・感覚等、Many(this world)にたいする過度に禁欲的・抑圧的な態度として固着することになる("oneness strategy")。
  • 下降:窮極的にはOne(other world)を体現することができない時空間を楽園として変化しようと志向することの結果、Many(this world)にたいする過度の執着として固着することになる("manyness strategy")。

KWの説明するように、本来、上昇と下降の運動は、"Great Circle"を構成するものとして、相補的な価値をもつものである。こうした相補性にたいする認識が喪失するときに結実するのが、Plato以降の西欧の文明史を祟りつづける共に視野狭窄した上昇と下降の相克なのである。

Wisdom And Compassion

OneのGoodは非創造物としての世界のGoodnessのなかに表現される。Oneを希求することは、Goodを希求する道であり、Manyを希求することは、Goodnessを希求する道である。前者は智慧(wisdom)の道であり、後者は慈悲(compassion)の道である。智慧は、刻々と変化する現象世界の背後に存在する永遠なるものを把握する。それは、あらゆる存在の基盤を構成する光(Light)と空(Emptiness)を認知するのである。慈悲は、刻々と変化する現象世界が永遠なるものの体現であることを把握する。それは、存在の基盤が多様性のなかにあまねく表現されていることを認知するのである。つまり、上昇と下降を統合するとは、智慧と慈悲を統合することを意味するのである。

Eros and Agape

上昇の運動はErosにより牽引される。上昇とは、OneがManyとして顕現する過程("Involution")のなかで「忘却」された自己の高次のidentityを回復("remembrance"・ "recollection")する運動であるが、そこにおいて、魂は、高次の結合性を希求するErosの衝動に導かれて、狭隘なidentityを放棄・超越していくのである。インテグラル思想において「進化」・「深化」・「成長」(evolution・development)として形容されるのは、Erosのダイナミクスによるものなのである。

また、こうした上昇と下降のダイナミクスは、個人のなかにおいてのみならず、個人にたいする世界の作用としても機能している。世界の愛は、個人にたいする高次からのAgapeとして作用する。こうした高次からの誘いにたいして(「恩寵」)、個人はErosを発揮することをとおして、応えていくのである。インテグラル思想においては、常に世界と個人とのあいだに愛(AgapeとEros)を結節点とする有機的な関係が存在していることが認識されるのである(「自力」と「他力」の統合)。

PhobosとThanatos

KWによれば、ErosとAgapeの統合に失敗するとき、ErosはPhobosに、そして、AgapeはThanatosに変容するという。

Phobos:上昇の運動をとおして、高次を希求するが、それが低次にたいする拒絶感に支えられているとき(例:低次が高次を汚染することの恐怖)、低次の忌避・抑圧をともなうことになる。つまり、Phobosとは、Agapeを欠如させたErosなのである。Phobosは、「上昇主義者」("the Ascenders")の心性に息づくダイナミクスであるということができる。そこでは、other worldを希求する運動がthis worldの拒絶をともなって展開されるために、必然的に身体的存在(embodied existence)としての諸条件(例:生・性・感覚・自然)が拒絶・無視されることになるのである。

Thanatos:下降の運動をとおして、低次の包容を志向するが、それが高次にたいする拒絶感に支えられているとき、低次への埋没・退行として結実することになる。これは混乱した慈悲と形容できるもので、そこでは低次にたいする慈悲が低次にたいする執着へと変容して、個人をそこに絡めとることになるのである。つまり、Thanatosとは、Erosを欠如させたAgapeなのである。Thanatosは、「下降主義者」("the Descenders")の心性に息づくダイナミクスであるということができる。そこでは、this worldを唯一の世界として絶対化するという倒錯が発生するために、必然的に、そこに存在する多様性と感覚性の探求のなかに救済を獲得しようとする不毛な営みが正当化されることになるのである。

Chapter Ten: This Worldly, Other Worldly

(Plato・Plotinus・Eckhart・Vedanta・Mahayana Buddhism等)Nondualの発想にもとづく諸思想は、真実・現実(Reality)とはthis worldとother worldのどちらでもないことを主張する。それは、窮極的には、完全に説明することができるものではなく、むしろ、直截的に認識することのできるものであるが、そうした限界を前提としたうえで、KWは、それを概念的に理解するうえで、少なくとも下記の3つの事項を留意する必要があることを指摘する。

  1. The One is the Good to which all things aspire:Oneとは、全ての存在が発達をとおして希求するGoodである。
  2. The One is the Goodness from which all things flow:Oneとは、全ての存在の発祥の源泉としてのGoodnessである。
  3. The Absolute is the Nondual Ground of both the One and the Many:窮極性とは、GoodとGoodness・OneとMany・AscentとDescent・AlphaとOmega・WisdomとCompassion等、あらゆる対極性の基盤であり、そして、そこに息づくものである。

これら対極性の統合のなかに、世界の真実にたいする洞察が獲得される。そして、こうした洞察が欠如するとき、上昇の道と下降の道は相容れないものとして訣別していくことになる。

こうした問題意識にもとづいて、KWは、西欧の歴史がPlatoとPlotinusにより確立されたNondualityの洞察が相互に相容れない上昇と下降の道に決裂していく過程としてとらええることを指摘する。

具体的には、西欧において、こうした集合規模の決裂を醸成した最大の要因として、KWは、神話的合理性の行動論理にもとづいてChristianityが普遍化されたことをあげる。意識の変容をとおして霊的覚醒(Causal段階の成長)を達成するための権利が剥奪された結果、事実上、西欧の集合意識は自己の内部に存在する上昇のダイナミクスを昇華するための機会を失うことになる。その結果、霊の顕現として現象世界を認識・受容することを可能とする慈悲を確立することに集合規模で失敗することになるのである(pp. 360-365)。

結合をもたらす言語化不可能な「一なるもの」(One)の直截の経験なしには、上昇と下降のふたつの道は、論理的に相容れないものとなり、そして、完全に仲介不可能なものとなることになる。真の完全なる上昇が疎外されたために(理論上においても)、真の完全なる下降も直截に経験することも、また、正確に構想することもできなくなるのである。(p. 365)

PlatoとPlotinusにより構想されたOne Worldは、this worldとother worldという相互に相容れない世界を志向するダイナミクスを醸成して、ひとびとを相克する2つの世界観間の緊張と衝突に巻き込んでいくことになるのである。これらの世界観の共通項は、"imitatio Dei"――神を崇拝・観想すること――という発想に見出されるが、しかし、そこで設定されている崇拝と観想の対象としての神は、それらの世界観においては、非常に異なるものとして構想されている。ひとつは、Goodを志向して全てを昇華するものとしての神であり、そして、もうひとつは、Goodnessの顕現として全てを祝福するものとしての神である。

KWの強調するように、神にたいする認識の差異は、理論上の差異だけでなく、また、実践上の差異を生みだすことになる。つまり、それは、「人間としてあることの目的」そして「価値ある人生とはいかなるものであるのか」等、人間の世界観を根本的に規定することをとおして、日常生活の機軸となる実践的規範(paradigmatic injunctions and exemplars)を決定することになるのである。

上昇主義的なありかたは、実践者に非創造物としての世界からの逃避を要求することになる。そこでは、しばしば厳格な規律に支えられた、禁欲的な生活が推奨されることになるのである。こうしたoneness strategyは、世界とは窮極的には幻影にすぎないことを強調することをとおして、必然的に厭世観(pessimism)を醸成することになる。ここでは、実践者は、内省(introspection)に取り組むことをとおして、other worldに自己の救済を求めることの重要性が説かれるのである。

下降主義的なありかたは、実践者に非創造物としての世界に積極的に参与することを要求することになる。そこでは、世界が神・霊の創造的な意志の顕現であることが強調され、そうした意志の作用に協調することが救済の方途として受容されることになるのである。ここでは、世界を特徴づける多様性を讃美・観察することが、そして、自己の積極的な活動をとおして、そうした多様性を増幅することの重要性が説かれることになるのである。こうしたmanyness strategyは、必然的に楽観(optimism)を醸成することになる。

Christianityの勃興以降、西欧の歴史は、上昇主義と下降主義の対立を機軸として展開することになる。そして、KWによれば、大局的には、それは、上昇主義が支配したRenaissance〜Enlightenment以前と下降主義が支配したRenaissance〜Enlightenment以後とに分轄することができるという。

参考資料

Brad Reynolds (2006). Embracing reality: The integral vision of Ken Wilber. NY: Jeremy P. Tarcher.
Brad Reynolds (2006). Where's Wilber at?: Ken Wilber's integral vision in the new millennium. St. Paul, MN: Paragon House.
Ken Wilber (1995/2000). Sex, ecology, spirituality: The spirit of evolution (Second Edition). Boston: Shambhala.
Ken Wilber (2006). Integral spirituality: A startling new role for religion in the modern and postmodern world. Boston: Shambhala.