Integral Japan Mail Magazine Vol.65

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          Integral Japan Mail Magazine
              No. 65 (2013/1/5)
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【1】連載:インテグラル・エデュケーション−−衝動的段階の教育(1)
後藤 友洋

【2】イベントのご案内

【3】お知らせ
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あけましておめでとうございます。本年がみなさまにとり、すばらしい年とな
ることをこころより御祈りいたします。

2011年に発生した東日本大震災は、この国に鬱積していた膿をいっきょに噴出
させましたが、それ以降、読者の方々は、目の前に突きつけられた同時代の混
沌とした状況にたいして果たしていかに貢献的に参画することができるのだろ
うかと模索をしてこられたのではないでしょうか。

思想家のケン・ウィルバーは、インテグラル思想の基盤を構成する重要な要素
として「ヴィジョン・ロジック」(Vision-Logic)という意識のありかたを提
唱しています。端的に言えば、それは、自己というものを時代や社会をはじめ
とする常に変化・変容する文脈の中でとらえなおしつづけることのできる意識
と言えます。即ち、それは、自己をとりまく文脈が刻々と変化するものである
ことを認識するだけでなく、また、そうしたなかで自己というものが本質的に
変化せざるをえない存在であることを自覚したうえで、あらたな自己の創発に
意識的にたずさわっていこうとする意識であるといえます。その意味では、VL
段階においては、自己を生きるとは、自己の生きる時代や社会にたいして常に
意識を向けて、そうしたものとの対話に不断にとりくむことと不可分のものと
なります。

このように考えてみると、東日本大震災後、われわれをとりまく状況はますま
すこうしたヴィジョン・ロジック的な意識を要求するものに変貌しているよう
に思えます。そして、そのときに必要とされるのは、自身のもとに届けられる
多様な情報にみずからをひらき、それらが自己の存在に作用するのを許容する
ことができる「強靭性」(resiliency)ということができます。いうまでもな
く、それは、また、そうした作用にたいして自己を敏感にするある種の「脆弱
性」に根ざした能力であるともいえます。

この激動に時代において、われわれは実に多様な能力を鍛錬することを求めら
れていますが、そこでまず重要となるのは、諸々の具体的・機能的な能力の活
用の仕方を方向づけることになる深層的な志向性といえるでしょう。ウィルバ
ーの呈示するヴィジョン・ロジックという概念は、われわれがそうした深層的
な志向性を探求するうえで有益な示唆をあたえてくれるものといえます。

インテグラル・ジャパンでは、今後とも、そうした問題意識にもとづいて、情
報提供をしていきたいと思います。

最後になりましたが、2013年における、みなさまの御健勝と御多幸をこころよ
り御祈りいたします。


インテグラル・ジャパン代表
鈴木 規夫

 

【1】連載:インテグラル・エデュケーション−−衝動的段階の教育(1)
後藤 友洋

今回は、就学前の子どもの教育についてお話します。私が普段指導の対象とし
ているのは小学校1年生から高校3年生までの学年であり、幼児教育に関しては
専門外なのですが、それにもかかわらず、敢えてこの段階から話を始めさせて
いただくのには理由があります。

私たち教師が生徒と出会うときにまず確認しなければならないのは、その子ど
もが、学ぶことへの意欲を持っているかどうかということです。生徒の側に学
ぶ意欲が形成されていないならば、教師の側がいかに優れた授業を行おうとも、
決して実りある成果を挙げることはできません。

それでは、学びへの意欲(あるいは、学びへの姿勢)は、どのようにして形成
されるものなのでしょうか。私たちがこの問題について考えるとき、まずはじ
めに気が付くのは「学ぶ」という行為が可能になることそのものが、実は、発
達上の大きな達成であるということです。

たとえば、近年、社会問題として広く認知されるようになった現象として、学
級崩壊を挙げることができます。モンテッソーリ教育の研究者として知られて
いる相良敦子をはじめとして、多くの教育学者が指摘しているのは、学級崩壊
の原因は、小学校の教育のあり方に問題があるというよりは、むしろ、幼児教
育の領域において「自由保育」が広く普及したことにあるということです。一
定のルールのもとに、他者とともに学ぶという機会を与えることがない自由保
育においては、子ども達がそれぞれに自らの欲求の赴くままに振舞うことにな
るので、知的な学習に取り組む上で最低限必要とされる社会性が身に付かず、
それが小学校入学後の学級崩壊につながっているというのです。

このことは、多くの子どもが学習活動に取り組む準備ができていないまま小学
校に入学してくるということを意味しています。

学びというものは、自らの所属する共同体の内部に蓄積されてきた智慧を継承
する行為であるという意味で、極めて文化的な行為です。その意味では、学ぶ
ということは、自己の視点からのみ世界を見るのではなく、他者の存在に対し
て自己を開いていくことなのです。それができるためには、他者の視点を考慮
することができるだけの発達段階に到達している必要があります。そして、他
者の視点を意識するということは、また、自己を律するということでもありま
す。学びを続けていくためには、一定の忍耐が必要とされますが、忍耐強くあ
るためにも、また、他者の視点から自己を見つめるだけの認知能力が必要とさ
れます。

したがって、学ぶことに対する積極的な姿勢を作るためには、個人は、前-慣
習的段階から、慣習的段階へと発達を遂げる必要があります。言い換えれば、
小学校入学以降の学習を効果的なものにするためには、就学前の段階で、つね
に個人の身体的な衝動に従って行動する前-慣習的段階を卒業しておく必要が
あるのです。そのことによって、子どもは自らの属する言語共同体において共
有されている様々な「決まりごと」を理解し、諸々の記号的体系からなる概念
世界に足を踏み入れることができるのであり、知的な学習はまさにそこから始
まるのです。

このことは、小学生を対象に指導を行っている教育関係者にとっても非常に重
要な問題となります。なぜなら、就学前に前-慣習的な段階における発達上の
課題を克服することのないまま、小学生になってしまった生徒に対しては、小
学校の学習に取り組む前に、ある意味ではもう一度幼児教育をやり直さなけれ
ばならないからです。当然のことながら、個人の発達の進むペースはそれぞれ
に異なるのですから、たとえどんなに適切な教育環境のなかで育ったとしても、
本来であれば就学前に終えておくことが望ましい発達上の課題が、小学校まで
持ち越されてくることは十分にあり得ます。その意味で、幼児期における発達
上の課題と、その克服の仕方を知っておくことは、小学校以降の子どもを担当
している教師にとっても必須となっているのです(注1)。

インテグラルな教育理論を構築することのひとつの価値は、このように、人間
のすべての発達段階を考慮することによって、生徒がどの段階で躓いているの
かということを診断することができることにあります。場合によっては前の段
階の課題からやり直すことによって、生徒の成長を前に進めることができるの
です。この視点を持たずに教育を行う限り、一度「落ちこぼれ」の烙印を押さ
れてしまった生徒は立ち直ることが極めて困難になります。その子がうまくい
かないのはなぜなのか、という分析が十分に行われないまま、課題内容だけは
どんどん高度なものになってしまうからです。一度出遅れると、その遅れを取
り戻すことは難しいばかりか、できる子との距離はどんどん広がっていきます。
結果として、そうした教育のあり方は、子どもから学ぶことの意欲を奪うこと
になるでしょう。

とりわけ、幼児期における教育は、子どものその後の成長の可能性を、強く規
定することになります。幼児期における発達上の課題を適切に乗り越えること
ができなかった場合、そのことは、生涯にわたって、その個人の成長に影響す
るのです。より具体的にいえば、世界を探求するための意志の力は、主として
この幼児期に形成されるものであり、この時期に意志を形成する機会を逃すと、
子どもに本来備わっているはずの知的好奇心、あるいは、探究心を、健全に働
かせることができなくなるのです。したがって、この意志の教育が、衝動的段
階における教育の主題となります。

**衝動的段階の認知的特徴

教育に携わる者であれば、必ず弁えておかなければならないことがあります。
それは、子どもは私たち大人とは全く異なる仕方で世界を認識しているという
ことです。このことがわからないと、教師は子どもが抱えている問題を正しく
理解して、適切な対応を取ることができません。したがって、教師は、子ども
の思考がどのような認知構造によって成立しているのかということを知ってお
く必要があります。それでは、発達の初期における認知的な特徴とは、どのよ
うなものでしょうか。

ピアジェは、幼児には、活動を伴わない思考はあり得ないと指摘しています。
なぜなら、幼い子どもは、自らの身体を離れて思考するということができない
からです。このとき、幼児の心は、身体としての自己に完全に同一化していま
す。彼らにとっては、具体的な身体の経験こそが、唯一の自己の経験なのです。
心はまだ自らの身体を対象化し得るほどの自律性を獲得していないため、自ら
の行動を反省して、自己を調整するということができません。自らを省みるこ
とがないので、幼い子どもはつねにいきいきとしており、また、つねに自己の
身体的な衝動の赴くままに行動することになります。そのため、この発達の段
階は、衝動的段階(Impulsive stage)と呼ばれています。

衝動的段階の個人にとっては、身体の経験こそが唯一の自己の経験である、と
いうことは、幼い子どもの物事の認識の仕方を注意深く観察すれば、容易に理
解することができます。たとえば、「右」と「左」を判断するとき、彼らが理
解し得るのは、つねに「自分から見た右、あるいは左」であって、他者の視点
から見た右、あるいは左ではありません。幼い子どもが他者の視点から見た方
向(右、左)を判断するためには、彼らは自らの身体を他者と同じ方向に向け
る必要があるのです。

つまり、幼い子どもの認識の範囲は、物理的・身体的な視野に限定されており、
その意味では非常に限定的なものであるということができます。ピアジェが幼
い子どもの認知的な能力の特徴を「自己中心的」であると言うとき、それは、
身体的に知覚された具体的なリアリティの認識から外に出ることのできない、
こうした子どもの認知的な限界を意味しているのです(注2)。

しかし、人間は、より高次の発達を遂げることによって、そうした具体的な行
為を伴わずに思考することができるようになります。身体的な行為からまった
く独立した思考が可能になるのです。そうすることによって、人は自らの身体
の拘束から離れ、他者の視点をも含んだより抽象的・普遍的な視点から、物事
を考えることができるようになります。したがって、この時期における発達と
は、思考が徐々に行為から分離することだといえるでしょう。

ピアジェは、このような観点から、人間の発達を「自己中心性の減少」という
言葉で定義しました。幼い子どもが理解することができるのは、自己の視点に
よって認識できる範囲に限定されており、他者の視点を考慮することができな
いという意味で、その認知的側面において「自己中心的」であるのですが、い
ずれはそうした認知的限界を乗り越え、他者の視点からも物事を考えることが
できるようになります。自己というものが脱中心化していくのです。そのとき、
個人は、共同体の規範に忠実であることを、自己の衝動のままに振舞うことに
優先させることができるようになります。そのようにして、個人は、発達の過
程で自らの欲求・衝動を、道徳・倫理・規則といったものに自己を従わせるこ
とを通して、より高次の共同体的な価値のなかに適切に抑圧・昇華して、決し
てひとりよがりではない、他者とともにある生き方を選択することができるの
です。

とはいえ、自らの身体に根拠を置く自己中心的な世界認識は、決してネガティ
ブな認識として発達の過程で切り捨てられるべきものではありません。なぜな
ら、私たちが身体から分離した心によって抽象的に思考するときでさえ、そう
した抽象的な思考を支えている言葉は、身体的な感覚に支えられて成立してい
るものだからです。私たちの用いる抽象語の多くが、そうした身体的な感覚の
メタファーとして使われていることに目を向けるなら、このことは容易に確認
することができるでしょう。たとえば、「明晰」な文章、出典を「明示」する、
光明を「見出す」といった言葉は、どれも光のメタファーであり、議事「進行」、
難問に「直面」する、危険を「回避」するといった言葉は、どれも空間のメタ
ファーです。このように、多くの言葉は身体的知覚、とりわけ視覚を基にして
紡がれているのです。

そのようにして、人間は、何よりもまず自らの身体を軸にして世界を認識して
いるということができます。心が身体から独立するほどに発達していない、衝
動的段階の子どもにおいては、そのことがとりわけ顕著に観察されます。した
がって、衝動的段階の子どもは、身体を介して事物に働きかけることによって、
世界に対する認識を深めていくことから学びを出発しなければなりません。

この時期に、様々な体験的な学習を通して身体的な感覚を研ぎ澄ませておくこ
とは、その後の知的な学習に取り組むための土台を形成します。言語学者の丸
山圭三郎が指摘したように、人間は知的に世界を認識する以前に、まず身体を
世界に投げ入れることによって世界を分節化しているのです(丸山は、前者の
知的認識を「言分け」、後者の身体的認識を「身分け」と呼んでいます)。

ルドルフ・シュタイナーは、この点について絶えず注意を促していました。人
間が知性の働きによって物事を認識することができるためには、その認識の対
象がすでに具体的な体験としてその人間のなかに記憶されていなければなりま
せん。そうした体験が個人の身体に記憶されないうちに純粋に知的な学習に取
り組もうとすることは、畳の上で水練をするに等しい行為であるといえるでし
ょう。水泳の練習にまず必要なのは水であって、水を経験しないうちに行われ
る水練に効果がないことと同じように、具体的体験を欠く知的認識は、決して
その人にとって腑に落ちた知識にはならないのです。

しかし、しばしば私たちはそうした感覚的な教育の意義を見過ごし、身体を経
由することなく、抽象的な概念から構成される学習の世界にいきなり子どもを
投げ込んでしまいます。早期教育の危険はまさにここにあります。

子どもの教育を考えるとき、私たちは、学びが活き活きとした現実の経験から
切り離され、抽象的な記号を操作することのみに終始してしまうことを警戒し
なければなりません。確かに、身体から分離した心にとっては、そうした純粋
な記号操作は可能であり、それが実際に多くの学校で行われていることでもあ
るしょう。しかし、ここには2つの落とし穴があります。まず第一に、そうし
た抽象的で、純粋に知的な学習に取り組むことが、しばしばあまりにも早く行
われてしまうということです。子どもの側にそうした学習に取り組む準備がま
だできていないうちから、そうした高度な学習に直面させることは、あまりに
も酷であり、非効率であるばかりか、勉強嫌いの子どもを作ることにつながり
ます。第二に、言語的・概念的な学習を通して知識を得るだけでは、その知識
は実際に活用可能なものとはなり得ないということです。身体的な感覚に根差
すことのない知的な理解は、本当の意味での理解とはいえないのです。教育者
は、心は身体という滑走路から飛び立つことによって、はじめて安全に離陸す
ることができるということを心に留めておく必要があります。

これらのことから、衝動的段階における教育のポイントが明らかになります。
それは、以下の2点に集約することができるでしょう。

まず第一に、衝動的段階の子どもは、つねに具体的な行為を通して学ぶ必要が
あるということです。なぜなら、上述したように、この段階の子どもは、身体
を通して学ぶ以外に、世界と関わる方法を持たないからです。したがって、純
粋に抽象的な思考を要求するような早期教育を行うことには慎重である必要が
あります。それは子どもに不可能なことを要求しているのであり、そうした無
理な要求をさせることによって、子どもの学習への意志を挫いてしまう危険が
あります。衝動的段階の学びはつねに、自らの身体をくぐり抜けたものである
必要があるのです。

また、この段階の子どもは、ある特定の身体的な活動に従事することによって、
世界との関係の取り方を学び、世界に働きかけていくことを学びます。そして、
そうした経験を通して、世界を探求することへの意志を育むことになるのです。
この「意志の形成」が、衝動的段階の教育の目的となります。これが、この段
階の子どもに対する教育の第二のポイントです。具体的な行為を通して、自ら
の力で課題を解決することで、子どもの意志の力は強化されていきます。世界
と取り組み続けるための力が養われるのです。また、そこから、世界をより正
確に理解しようとする知性の芽が育っていくことになります。知的な学習に取
り組むための土台が形成されるのです。

もし、このような発達の初期における教育的意義が理解されず、子どもが意志
を育むための機会を逸してしまうのであれば、それはその子どもの人生の全体
に大きな損失を与えることになります。なぜなら、学びへの意志を持つことこ
そが、生涯を通じて意味のある学習を進めていくための前提であり、この時期
にそうした意志を形成しておくことができなければ、再びその機会を持つこと
は極めて難しくなるからです。

これから、この2つのポイントについて、より詳細に検討していきたいと思い
ます(次号に続く)。

【注】
(1)こうした問題は小学校から中学校、中学校から高校、高校から大学への
進学においてもつねに起こり得ます。たとえば、いま、大学の1年次において
は、高校の学習内容の復習から始めなければ大学の学習内容に入ることができ
ないというケースがしばしば発生しているようです。教育が、子ども達に各学
年に応じた発達上の課題を十分に克服させることができない場合、そのつけは
進学先の学校において払わされることになります。その意味で、段階を飛ばし
て発達することはできない、という発達心理学の指摘は極めて重要なものとな
ります。
(2)この「自己中心性」という言葉には、少し注意しなければなりません。発
達心理学の文脈においてこの言葉が使われるとき、それは決して子どもが倫理
的に劣った存在であるというわけではありません。発達心理学が問題にしてい
るのは、他者の視点を考慮するための認知的な側面の発達であり、人格の優劣
を問題にしているのではないのです。実際に子どもは他者に対して多くの場面
で優しさを示すことができますし、それはしばしば無私の行いとして観察する
ことができます。「自己中心性」という言葉をより正確に説明するならば、幼
い子どもはまだ自己と他者を区別し得るほどに強固な自我を確立させていない
ということになります。

参考文献

・ケン・ウィルバー、松永 太郎訳(1998)『進化の構造』(T・U)春秋社
・相良 敦子(1985)『モンテッソーリの幼児教育 ママ、ひとりでするのを手
伝ってね!』講談社
・相良 敦子(1999)『幼児期には2度チャンスがある』講談社
・ジャン・ピアジェ、滝沢 武久訳(1968)『思考の心理学』みすず書房
・瀬戸 賢一(1995)『メタファー思考 意味と認識のしくみ』講談社
・ハワード・ガードナー、松村 暢隆訳(2001)『MI:個性を生かす多重知能
の理論』新曜社
・福田 誠治(2011)『こうすれば日本も学力世界一 フィンランドから本物
の教育を考える』朝日新聞社
・丸山 圭三郎(2007)『言葉・狂気・エロス 無意識の深みにうごめくもの
』講談社
・モーリス・メルロ=ポンティ、竹内 芳郎・小木 貞孝訳(1967)『知覚の現
象学T』みすず書房
・モーリス・メルロ=ポンティ、竹内 芳郎・木田 元・宮本 忠雄訳(1974)
『知覚の現象学U』みすず書房
・モーティマー・J・アドラー、チャールズ・V・ドーレン、外山 滋比古・槇
未知子訳(1997)『本を読む本』講談社
・ルドルフ・シュタイナー、高橋 巌訳(2003)『子どもの教育』(シュタイ
ナーコレクション)筑摩書房
・レイチェル・カーソン、上遠 恵子訳(1996)『センス・オブ・ワンダー』新
潮社
・リタ・デブリーズ&ローレンス・コールバーグ(1992)『ピアジェ理論と幼
児教育の実践 モンテッソーリ、自由保育との比較研究 上巻』北大路書房

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後藤 友洋 プロフィール
1983年長野県生まれ。法政大学キャリアデザイン学部キャリアデザイン学科卒。
国語専科教室講師。

大学時代にケン・ウィルバーの著作に出会い、以後、理論と実践の両面からイ
ンテグラル思想の探求に取り組んでいる。現在は国語専科教室において、小学
生から高校生までの作文指導・読書指導を担当。言語教育の実践を通して、言
語の発達と心理的発達の関係を考察し、個人の統合的な成長に向けた教育環境・
教育技法の開発を目指している。
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【2】イベントのご案内

2013年1月のケン・ウィルバー研究会の開催情報を御案内します。

本研究会は、インテグラル理論を話題にして、自由に議論をおこなうためのも
のです。参加を予定している方々は、議題としてとりあげたい話題や質問を2
〜3を準備のうえ御参加ください。

課題資料

後藤 友洋(著)
連載・インテグラル・エデュケーション〜フラットランドを越えて (1)
http://www.integraljapan.net/articles/2012_goto01.htm
連載・インテグラル・エデュケーション〜フラットランドを越えて (2)
http://integraljapan.net/articles/2012_goto02.htm
小杉 英了(著)
『シュタイナー入門』(筑摩新書)
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480058720/

開催日:2013年1月20日(日曜日)13:30〜17:00
開催場:
〒101−0025
東京都千代田区神田佐久間町1−11
和泉橋区民館 2F 洋室A
アクセス・マップ:http://www.city.chiyoda.lg.jp/service/00106/d0010677.html
交通
JR秋葉原駅昭和通り口から徒歩2分
都営新宿線岩本町駅から徒歩3分
東京メトロ日比谷線秋葉原駅から徒歩1分

参加費用:2,000円
参加条件:特にありません(事前予約の必要はありませんので、当日 会場に
御越しください)
主催:インテグラル・ジャパン
URL:http://integraljapan.net/
連絡先:info@integraljapan.net/

【3】お知らせ

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2012年12月をもって終了いたしました。無料メールマガジンスタンド配信版を
ご購読いただいており、12月末までにインテグラル・ジャパンのメールフォー
ムにご登録いただいた皆様には、引き続きメールマガジンをお送りしておりま
す。二重登録、配信停止のご希望等ある場合は、お手数ですが下記メールアド
レスまでご連絡ください。

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インテグラル・ジャパン・メールマガジン No. 65
配信日:2013年1月5日
発 行:インテグラル・ジャパン総合研究所
http://www.integraljapan.net/
発行人:鈴木 規夫
編 集:後藤 友洋
*無断複製・転載を禁止します

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