ウエブ・サイト紹介 第4回 

鈴木 規夫

 あらゆる領域においてそうであるように、今日、トランスパーソナル研究の領域においても、インターネットの重要性は、ますます高まってきています。実際、数々のトランスパーソナル領域の関係者が、内容的に充実したウエブ・サイトを運営しています。そこには、この領域の代表的研究者たちによる、書きあげられたばかりの論文が多数掲載されており、わたしたちは、それらを無料で読むことができるのです。ここでは、そうしたウエブ・サイトをご紹介していきます。


What Is Enlightenment? : Redefining spirituality for an evolving world

http://www.wie.org/


今日、われわれがスピリチュアリティについて実践的に取り組むうえで真剣に検討するべき問題のひとつは、現代という時代の文脈のなかでそれを実践するということが果たしていかなることを意味するのかというものである。いうまでもなく、スピリチュアリティとは、その成熟した形態において、普遍性と時代性という対極性を統合する包容力を有するものとなる。つまり、それは、時代を超越する普遍性を志向すると同時に、また、刻々と推移する時代の流動を敏感に感受して、そして、それに賢明に参与しようとするのである。その意味では、スピリチュアリティとは、進化のダイナミズムを基盤として創造的に展開する歴史の過程のなかで、そのありようを常に変容させつづけるものなのである。そこでは、それまでの歴史の過程のなかで先達の営為により蓄積された遺産を継承しようとする意思とともに、また、自らの眼前に展開する「現在」という瞬間と対峙することをとおして、「個」としての創造的責任を果たそうとする意思がはたらくことになる。決して終息することのない時間の流れのなかに生きるとは、すなわち、現在という瞬間に真摯に参与することをとおして、過去と将来に対して責任を果たそうとすることなのである。スピリチュアリティという人間の普遍的な営みを時代の文脈のなかで創造的にとらえなおしていこうとするこうした態度は、トランスパーソナル思想の興隆が示唆するように、今日、多くのひとびとの共感を集めている。


こうした潮流の牽引者としての役割を果たしている重要人物のひとりとして、宗教家アンドルー・コーエン(Andrew Cohen)の名前を挙げることに躊躇するひとはいないだろう。スピリチュアリティに関連する雑誌が濫立する合衆国の出版界において、上記のような普遍性と時代性の統合――そして、それは、とりもなおさず、上昇と下降の統合である――という課題をとりあげ、スピリチュアリティというものを現代という時代を生きるわれわれにとり真に意味のあるものとして再構築するという課題と果敢に取り組みつづけている雑誌"What Is Enlightenment?"(WIE)は、真正のスピリチュアリティ(authentic spirituality)を模索する高度の読者の支持を獲得している類稀な雑誌である。スピリチュアリティというものが急速に商業化のトレンドに呑みこまれるなかで、「感覚主義」(これは、普通、成長というものがもたらす世界への倫理的責任を放棄したうえで、「癒し」という快楽体験を追及することを目的とする内面性志向として顕現する)が横行する近年の状況のなかで、この雑誌の主催者として、コーエンは、これまで、一貫して、そうした浅薄なスピリチュアリティのありかたに対する批判を展開し、また、それに替わる真正のスピリチュアリティとはいかなるものであるのかについて、心理・哲学・宗教・教育・政治・経済・科学・医療・ビジネス等、多様な領域の研究者・実践者を巻きこみながら、共同探求に取り組みつづけている。


そこで明確にうちだされているのは、自己の虚構性を「非日常的体験」を獲得することをとおして否定しようとする自我の構造的な自己保全傾向と対峙・格闘しようとする、自己陶冶・自己超越の方途としてのスピリチュアリティの真髄を復権しようとする方向性であるといえるだろう。そうした姿勢は、とりわけ、自己の「癒し」を追求する自己完結した内面探求を主要な目的とするのではなく、むしろ、現在という瞬間において、創造性を発揮して果敢に行動することをとおして、将来への責任をになうことの重要性を強調する、その主張に明確に刻印されている。そうした主張は、スピリチュアリティというものを自己の治癒だけでなく、将来の創造という他者への責任を包含するものとしてとらえなおすことを可能とする。結果として、それは、われわれに自己完結しようとする自己の性向と対峙し、そして、創造性の支えのもと、自己の限界を克服する果敢な行動をすることを可能とするのである。それは、コーエンの指摘するように、世界に存在することをとおして、われわれひとりひとりに賦与されている神秘を開拓する権利と責任を行使することなのである。


行動を強調するコーエンのこうした姿勢(もちろん、ここでいう行動とは意識に支えられた行動を意味するものであることはいうまでもない)は、現代においてスピリチュアリティの実践に真摯に取り組もうとするとき、今日われわれが人類種として直面している生存の危機を無視することができないことを彼が痛切に実感していることから立ちあがるものである。これは、とりわけ、WIEに定期的に掲載される盟友ケン・ウィルバーとの対話("the Guru and the Pandit")において、コーエンがくりかえして強調するところである。


もちろん、こうした集合体の福利に対して責任を負うことを重視する視点は、伝統宗教や神秘思想をはじめ、トランスパーソナル思想にも息づいているものである。ただ、ここで留意するべきことは、そうした惑星規模で進行している生存の危機という問題の解決に建設的に参画するということが、ここでは、真の意味で現代という時代を包容したうえでスピリチュアリティの実践に取り組もうとするとき、決して回避することのできない責任であることが認識されていることである(こうした問題意識を端的に象徴するものとして、例えば、WIEに掲載されたDuane Elgin(2004)の論文を参照していただきたい)。それは、WIEという雑誌を基盤として展開しているスピリチュアリティの研究・実践が、自己の内的欲求ではなく、自己をとりまく生存状況との関係性のなかであたえられる意味を基盤として展開する、インテグラル(Vision Logic)段階の意識構造を基盤として展開していることの何よりの証左であるといえるだろう。


こうした成熟した意識構造を基盤として発想されるスピリチュアリティ――それは、奉仕の精神に貫かれたスピリチュアリティということができるだろう――が多数の研究者・実践者の支持を獲得しはじめている今日の合衆国における状況は、われわれに、自らのスピリチュアリティと向きあおうとするとき、豊かな洞察をあたえてくれる。とりわけ、スピリチュアリティというものを自己の癒しのための方途としてではなく、むしろ、自己を克服するための方途としてとらえなおそうとする、そうした重心の垂直的深化がいかなる洞察を契機として展開しているのかを検討することは、スピリチュアリティというものが自我の自己保全衝動の肥大化を正当化するための道具として横領(hijack)されている今日の国内の状況を克服するための貴重なヒントをもたらしてくれるだろう。


WIEの数々の掲載作品のなかでもたびたび指摘されるように、自己収縮衝動は自我の本質的な性向である。そして、スピリチュアリティとは、その真正なかたちにおいて、そうしたありかたを克服するための自己超越の方法としての機能を持つ(WIE掲載の論文において、ウィルバー(1997)は、こうしたスピリチュアリティを「変容志向のスピリチュアリティ」("transformative spirituality")と名付けて、自己保全衝動を基盤として展開する「翻訳志向のスピリチュアリティ」("translative spirituality")と峻別している)。しかし、変容を醸成するものとしてスピリチュアリティを確立することは、まさにそれが自我の根源的な自己保全衝動を脅かすものであるゆえに、非常に困難であることは、多くのひとびとが実感しているところであろう。また、現代社会は、こうした人間意識の構造的な性向を正当化・肥大化するための無数の道具を提供する。WIEの寄稿者のひとりである社会心理学者のドン・ベック(Don Edward Beck)(スパイラル・ダイナミクス理論の創始者のひとり)は、こうした現代社会に蔓延する自我肥大を増幅する価値体系を"Mean Green Meme"と形容して、その中心に息づく「価値相対主義」(日本では、こうした「思想」は「崩しの思想」として知られている)が、人間存在の個人・集合の両領域の基礎構造を溶解することをとおして、人間の意識深化能力(すなわち、それは人間の自らの構造的な自己中心性を克服する能力である)を破壊するものであることを喝破する。結果として、それは、われわれに自らが構造的に所有する自己中心性という「業」と対峙するという、人生における最大の歓喜と苦悩の源である自己陶冶に取り組むことを不可能とすることをとおして、われわれひとりひとりの内部に潜在する「深み」(depth)から乖離した人生を強要することになる。真正のスピリチュアリティが志向する自己超越というものが、こうした自己陶冶の営みの窮極的な表現といえるものであることを鑑みれば、現代社会に蔓延するこうした価値体系が真の意味でのスピリチュアリティの成立の可能性を根底から溶解するものであることが理解されるであろう。


WIEの問題意識とは、人間を「深み」から疎外する現代の社会環境のなかで集合意識の地盤沈下が深刻化する状況において「スピリチュアリティ」というものが取り組まれるときに発生することになる、諸々の問題をいかに診断し、そして、解決するかということであるといえる。こうした社会状況においては、スピリチュアリティは、ひとびとの内部に真の意味でスピリチュアリティに取り組むために必要とされる自己陶冶能力を前提とすることはできない。むしろ、自らの経済的な持続可能性(収益性)を確保しようとするならば、スピリチュアル・コミュニティは、そうした自己陶冶能力を有しないひとびとの要求に応えることを必要とされることになるのである。実際、今日、先進国において活況を呈している「スピリチュアリティの興隆」が、こうした集合意識の地盤沈下の流れのなかで、スピリチュアル・コミュニティが自らの「大衆化」と「商品化」を完成させたことによりもたらされているものであるという事実をウィルバーやベック等、WIEに共同探求者として参画している識者は的確に指摘している。その意味では、WIEの取り組みとは、今日、われわれの眼前に展開する不毛地帯をあらためて豊かなものとして再生しようとするこころみであるといえるだろう。


今後、急速に露呈するであろう現代文明の持続可能性の危機は、今日、政治的・経済的な安定を基盤として成立している「こころの時代」の妥当性を根本的に否定することになるであろう。そして、そうした状況において、「こころの時代」の症状として発生している「スピリチュアリティの興隆」は、過去のものとして、ひとたまりもなく忘却されることになるだろう。そうした淘汰の時代を迎えたときに、そこに真の意味で個人・集合の福利のために価値を体現し続けるスピリチュアリティとは果たしていかなるものなのだろうか? ――WIEの取り組みとはそうした問いを模索することであるといえるだろう。

幸いにも、WIEのバック・ナンバーの掲載記事はすべてインターネット上で無料で読むことができるので、真正のスピリチュアリティについて模索しようする方々にはぜひ活用していただきたい。


参考文献

Duane Elgin (2004). The gathering world storm and the urgency of our awakening. In What Is Enlightenment? Issue 24 (February-April 2004). Available at http://www.wie.org/j24/elgin.asp
Ken Wilber (1997). A spirituality that transforms. In What Is Enlightenment? Issue 12 (Fall-Winter 1997). Available at http://www.wie.org/j12/wilber.asp