ウエブ・サイト紹介 第3回 

鈴木 規夫

 あらゆる領域においてそうであるように、今日、トランスパーソナル研究の領域においても、インターネットの重要性は、ますます高まってきています。実際、数々のトランスパーソナル領域の関係者が、内容的に充実したウエブ・サイトを運営しています。そこには、この領域の代表的研究者たちによる、書きあげられたばかりの論文が多数掲載されており、わたしたちは、それらを無料で読むことができるのです。ここでは、そうしたウエブ・サイトをご紹介していきます。


Ken Wilber Online

http://wilber.shambhala.com/


このところ「トランスパーソナルの終焉」という言葉をしばしば耳にする。そうした指摘は様々な表現をとるが、それらのなかでも個人的にとりわけ印象深いものに、「トランスパーソナルの賞味期限はもう過ぎた」というものがある。その言葉を聴いたのはもう数年前のことであるが、そのときに「なるほど」と思わず納得してしまったことを今でも鮮明に思いおこすことができる。


いずれにしても、ここで重要なことは、こうした発言が、トランスパーソナルにもともと批判的であった部外者ではなく、これまでにトランスパーソナルの発展に積極的に寄与してきた国内・国外の関係者によりなされていることである。私自身、数年前に帰国するまでの数年間をトランスパーソナル研究の中心地であるSan Franciscoで生活したが、こうした発言の背景に存在する漠然とした焦燥感のようなものは、明らかにトランスパーソナル・コミュニティーに蔓延していたと思う。


もちろん、これは、今日において、優れたトランスパーソナル研究が行われなくなってしまったということを意味するものではない。例えば、Christopher Bache (2000) やJorge Ferrer (2002) の著作に代表されるように、これまでのトランスパーソナル研究を俯瞰したうえで、新しい構想を果敢にうちだそうとする非常に優れた研究が発表されつづけている。しかし、同時に留意するべきことは、そうした研究者・実践者たちが自らをトランスパーソナリストとして形容することに必ずしも執着していないということである。むしろ、そこに感得されるのは、これまでに蓄積された成果を継承することの必要性を認識しながらも、また、それらを現代に必要とされる構想を構築するためにのりこえられるべきもとしてとらえる醒めた態度である。


過去には、自らをトランスパーソナリストと形容することが積極的に追及された時代が存在した。そうすることが、時代の最先端において生成している画期的な動きに自らが参加していることを実感させてくれるような感覚をもたらしてくれたのである。しかし、今日、トランスパーソナルという言葉は、そうした魅力をほとんど喪失している。むしろ、この言葉は、今日においては、積極的に克服されるべき「桎梏」として認識されているのである。


今日の代表的な研究者・実践者の活動のなかに見いだされるのは、これまでは全体を象徴する言葉として認識されてきた「トランスパーソナル」という言葉を部分を象徴する言葉として定義しなおそうとする、対象化の動向ということができるだろう。こうした動向をトランスパーソナルの成長と見なすか、それとも、トランスパーソナルの終焉と見なすかは意見の別れるところだが、いずれにしても、今日、トランスパーソナルが、その特徴であった先進性というものを喪失しはじめていることは紛れもない事実である。そして、時代の流れの中で過去のもとして取り残されようとしているこの思想運動を今あらためて根本的に定義しなおそうとするのが、こうしたトランスパーソナル「克服」の活動なのである。


周知のように、トランスパーソナルにおいてとりわけ重要となるのが、普遍性と時代性という対極を統合することである。時代性を超えたものに視点を向けながらも、同時に、刻々と推移する同時代の生存状況に対応して、自らのありかたを柔軟に変化させていくことは、あらゆるトランスパーソナリストの課題といえるだろう。その意味で、今日、自らが目撃している「トランスパーソナルの終焉(成長)」が、果たしていかなるダイナミズムのもとに展開しているのかを検討することは、そうしたプロセスに建設的に参加するために必須の作業であるといえるだろう。


こうした作業に取り組むうえで、とりわけ貴重な洞察をあたえてくれるのがケン・ウィルバー(Kenneth Earl Wilber Jr.)(1949−)の研究である。あらためて説明するまでもなく、ウィルバーは、1977年に「意識のスペクトル」を発表後、トランスパーソナル運動をその理論・実践の両面において牽引してきた人物である。今日まで、多数の論文・著作を発表しており、その活動は、常に、時代・時代のトランスパーソナル研究のありかたを定義するものとして関係者に注目されてきた。


しかし、これはあまり知られていないことだが、実際には、1980年代の中盤以降、ウィルバーは、徐々にトランスパーソナル運動との距離を取りはじめる。こうした動きの背景には、トランスパーソナル運動が、自らの閉塞した世界のなかで展開する普遍性をもたないイデオロギー運動へと収束していく事実をウィルバーが認識していたことがあげられる。ウィルバーは指摘する。


「トランスパーソナルは、自らの肥大化するイデオロギーのなかに閉塞しつづけ、そして、その研究活動は、妥当性のある調査・証拠・解釈というものから乖離しつづけた。結果として、これは、一般社会との架橋を構築するのではなく、むしろ、それを突き崩すことになった。」


また、同時に、現代社会は、トランスパーソナルのみならず、人間の内面性の探求(治癒)を目的とする心理学という活動の存在価値そのものを溶解しようとする文化的な潮流に席巻されようとしていた。これは、ウィルバーが「フラットランド」("Flatland")と呼ぶもので、近代科学の物質主義と現代思想の価値相対主義の融合により生みだされた、あらゆる価値基準の外面化・浅薄化の流れと形容することのできるものである。そこでは、人間を人間たらしめる内面性というものが妥当性をもつ価値領域として否定され、その代わりに、視覚や触覚等、肉体感覚により計測することのできる情報のみが信頼できる基盤として抱擁されたのである。こうした状況において、人間の内面性の内奥を探求することをとおして人格の成熟を醸成することを意図する心理学という営為の存在価値が軽視されるようになるのは当然のことであった。こうした外面化・浅薄化の蔓延した社会においては、人間とは、あくまでも自己の肉体的衝動に忠実に行動する物質的存在にすぎず、その治癒は、適切な薬物投与と欲望の充足をとおして可能となるものであるとされたのである。


しかし、発達心理学の調査が示唆するように、人間の成長(治癒)とは、内省力の深化をとおして、肉体的衝動を高度のレベルに昇華して、成熟した社会性のもとに表現する、自己中心性を克服する過程である。そこでは、治癒とは、自己を対象化して、複数の視点を考慮(統合)したうえで、表現することのできる構造(能力)を構築することをとおして達成されるものとして認識されるのである。それは、フラットランドの影響のもと称揚される現代の人間観と真向から衝突するものである。トランスパーソナル研究は、人間の成長(治癒)の高度の可能性を探求する営みであるが、こうした現代の思想状況は、それが志向するものを根本から否定するものである。


New Age Spiritualityに代表されるように、「癒し」というものが、人間の自己中心性を擁護するための装置として利用されていく時代状況のなかで、トランスパーソナル・コミュニティーは――経済的に継続していくことができるために――そうした動向に迎合することを強いられるようになる。ウィルバーが指摘する、トランスパーソナリズムのイデオロギー化というのは、こうした状況において、その活動が人間の内面性の探求という本質から乖離するなかで必然的にもたらされる結果であるということができるだろう。なぜなら、そこで追求されるのは、もはや、実際の実践と変容をとおして獲得される成長ではなく、あらゆる克己の努力を放棄することを許容してくれる慰撫の言葉にすぎないからである。そして、こうした本質からの乖離は、必然的にトランスパーソナリズムの衰退をもたらすことになる。


トランスパーソナル・コミュニティーは、今日、非常に深刻な困難に直面している。そして、そうした危機に対応するかたちで、今、数々の優れた研究者・実践者が建設的な活動を展開している。それらのうち、一部の人々はトランスパーソナルというものがすでに終焉したものと見なしたうえで活動を展開している。また、一部の人々はトランスパーソナルというものが新しい段階へと成長しようとする創造的苦悩のただなかにあると見なしたうえで活動を展開している。ここで重要なことは、われわれが自らをどちらの「勢力」にくみするものとして認識するかということではなく、トランスパーソナルという人間の内面性の価値を尊重するこころみに深刻な困難をもたらしている時代の状況を直視することである。


今回、御紹介しているHPに掲載されている論文に明らかなように、ウィルバー自身は、トランスパーソナル思想が終焉しつつあることを主張している。また、実際、彼が提唱する「インテグラル理論」は、トランスパーソナルという枠組ではとらえることのできない包括的・画期的なものである。


しばしば指摘されるように、ウィルバーの思想は刻々と深化しつづけており、また、その執筆速度に読者として追いついていくのはとても大変である。しかし、また、われわれの生活する現代という時代の生存状況も刻々と変化しつづけており、われわれは、それを包括的に把握するために、自らの認知の枠組をくりかえして再構築しつづけなければならない。その意味では、自己の構築した構想を積極的に再構築しつづけようとするウィルバーの思想活動は、われわれに現代という時代が要求する継続的な自己変容という課題に取り組むうえでのひとつの優れたモデルを提供してくれるものということができるだろう。


冒頭で指摘したように、今日、トランスパーソナリズムという思想運動が重大な変革の時期を迎えていることは紛れもない事実である。ここにおいて重要なことは、いうまでもなく、今後、こうした変革の過程をとおして創造されるものが、「トランスパーソナル」と形容できるものであるのかということではない。むしろ、われわれが留意するべきことは、そうした過程をとおして創造されるものが、現代という時代において、われわれに自己の可能性を真に発揮して生きることを可能にしてくれるものであるのかということである。


そうした人間の可能性の解発を促進する構想のひとつとして、ひとりでもたくさんの方々にウィルバーの著作を参照していただきたい。また、HPには、多数のインターヴューも掲載されているので、掲載論文を難解と感じられる方々はそちらを参照されると良いだろう。


参考文献

Bache, Christopher (2000). Dark night, early dawn: Steps to a deep ecology of mind. Albany: State University of New York Press.
Ferrer, Jorge N. (2002). Revisioning transpersonal theory: A participatory vision of human spirituality. Albany: State University of New York Press.