ウエブ・サイト紹介 第2回 

鈴木 規夫

 あらゆる領域においてそうであるように、今日、トランスパーソナル研究の領域においても、インターネットの重要性は、ますます高まってきています。実際、数々のトランスパーソナル領域の関係者が、内容的に充実したウエブ・サイトを運営しています。そこには、この領域の代表的研究者たちによる、書きあげられたばかりの論文が多数掲載されており、わたしたちは、それらを無料で読むことができるのです。ここでは、そうしたウエブ・サイトをご紹介していきます。


林道義のホームページ

http://www007.upp.so-net.ne.jp/rindou/


トランスパーソナル心理学において、トランスパーソナル体験というものをどう理解するかということは、重要な問題である。いうまでもなく、トランスパーソナル研究は、実際の人間の癒しに建設的に携ることを意図するこころみである。このことは、必然的に、トランスパーソナル研究が、癒しの源泉となる「体験」を効果的に統合(経験・解釈・統合)するための支援を提供する責務を負っていることを意味する。この体験の統合という問題に取り組むうえで、重要な概念として、「状態」(state)と「段階」(stage)というものがある。


誰もが経験的に知るように、トランスパーソナル体験は、「状態」としては、すべての人間に起こりえるものである。これは、普通、一時的な意識の高揚状態として経験されるもので、こうした体験は、日常の意識状態において知覚されるものとは質的に異なる現実へとわれわれの認識を拡張してくれる。トランスパーソナル研究は、こうした意識状態が、意識の深化のプロセスをひきおこす「触媒」(catalyst)として、人間の発達に重要な意味をもつことを強調する。


しかし、こうした意識状態は、持続性をもたない体験である。しばしのあいだ高揚状態が継続したあと、いずれは終息するのである。そして、こうした高揚状態が終息したあと、再びいつもの日常的な意識状態がもどるとき、われわれは、自らが根本的にはあまり変化していないことを発見する。


多数の発達心理学の調査が証明するように、人間において、持続性のある心理的成長は、実際には数年の時間をかけて起こるものである。例えば、Suzanne Cook-Greuter (http://www.harthillusa.com/)の調査によれば、ある段階からつぎの段階への構造的成長が完遂するためには、少なくても5年間の時間が必要とされるという。一時的な意識の高揚状態は、われわれに、自らのなかに存在する可能性を垣間見せてくれるが、そうした体験そのものは厳密な意味において成長といえるものではない。真の意味で成長といえるのは、持続性のある構造的な成長だけである。


構造的な成長は、超越と継承(transcend & include)という法則に則りながら、進展していくプロセスである。これは、高次の成長段階が、そのまえの成長段階において構築された基盤のうえに存立しているということである。そして、これは、必然的に、人間意識の段階的発達において、段階をバイパスすることができないことを意味する。確かに、人間はトランスパーソナル段階へと成長する潜在能力を内蔵しているが、しかし、そうした段階へと到達することができるまえに、まず、その基盤であるパーソナル段階における成長が達成されなければならないのである。


しかし、こうしたパーソナル段階への成長を達成することは、必ずしも簡単なことではない。例えば、Robert Kegan (http://www.gse.harvard.edu/clg/aboutus2.html#robertkegan)は、先進国においても、人口の70〜80%は、完全にはパーソナル段階(合理性段階)に到達しないと報告している。トランスパーソナル段階が、合理性段階よりもさらに高次の段階であるヴィジョン・ロジック段階が構築されたうえではじめて成立しえるものであることを考慮すると、実際には、人間の意識深化のプロセスがトランスパーソナル段階に到達することがいかに困難であるかが理解できるだろう。


しかし、トランスパーソナル段階への成長が困難なものであるという現実は、決して、トランスパーソナル体験というものを「状態」としてのみとらえるべきだということを意味しない。むしろ、それは、その困難な課題をいかにして克服することができるのかについて探求をするようにわれわれを鼓舞するものとして理解されるべきものである。なぜなら一時的な高揚状態のなかで知覚された可能性を自らの持続的な能力として体現することができるためには、この困難な段階的成長を完遂しなければならないからである。


いずれにしても、トランスパーソナル段階への成長が困難なものであるということは、その基盤となるパーソナル段階を確かなものとして確立するための努力がますます重要になるということを意味する。そうした基盤が存在しなければ、トランスパーソナル段階への成長は、単なる夢物語でしかない。その意味では、真のトランスパーソナリストとは、まず、パーソナル段階の重要性を認識するパーソナリストであることができねばならないのである。


トランスパーソナル体験の「状態」としての側面を強調し、「段階」としての側面を軽視することは、結果として、トランスパーソナルというこころみについて非常に歪(いびつ)な認識をもたらすことになる。また、そうした姿勢は、トランスパーソナル段階への成長を可能とするパーソナル段階における成長の重要性に対する無知を醸成することにもつながりかねない。トランスパーソナルというこころみに参加するうえで、われわれは、こうした危険性に常に注意をはらいつづけねばならない。


こうした課題に取り組むうえで、貴重な洞察をあたえてくれるのが、現代日本におけるユング研究の権威である林道義氏である(林氏の著作『ユング思想の真髄』(朝日新聞社)は、世界的にも傑出したユング研究書である。また、PHP新書として出版されている三冊の著作は、日本語のユング心理学への入門書として最良のものである)。


ユング心理学は、人間の発達を、すぐれた方法論のもと、意識と無意識の相補的な関係性のなかで生じるものとして解明した。ユング心理学のこうした観点は、トランスパーソナル心理学のそれと共鳴するものであり、また、実際に、ユング心理学をとおして、トランスパーソナル心理学に興味をもつようになるひとは数多い。


ただ、ここで注意するべきことは、ユング心理学において、こうした意識と無意識の関係性のなかで立ちあらわれる体験を統合する主体として、常に、自己(自我)の重要性が認識されていることである。意識の深層領域の探求という行為は、時として、われわれの存在を根底から揺さぶるような苦悩をもたらす。そうした苦悩を抱擁しながら、変容のプロセスを継続することができるためには、いうまでもなく、たいへん強靭な自己(自我)が必要となる。そうしたものが存在しないところでは、そうした探求行為は、個人の存在を崩壊させてしまう危険性さえある。林氏の研究の基盤にあるのは、意識の深層領域の探求という行為が要求するこうした必要条件についての透徹した認識であり、また、そうした条件が確立されるために、実際に、個人と社会の両領域において、どのような「装置」が必要とされるのかについての包括的な認識である。


意識成長の初期(プリパーソナル)段階における重要な課題は、共同体の規範を内面化することをとおして、人間の生来の自己中心性を克服することである。これは、個人のなかに潜在する成長への能力というものが、まず、外界(共同体)による適切な干渉(challenge & support)によりひきだされるものであること意味する。この段階において、そうした干渉があたえられないとき、人間は、意識成長の原動力となる秩序感覚を構築することができず、結果として、自らの生命力を成長という目的を志向しながら昇華する能力を育成することに失敗してしまう。こうした人格の基礎的領域における欠落は、トランスパーソナル段階への成長はいうにおよばず、パーソナル段階への成長への可能性をも剥奪することになってしまう。


個人の人格的成長への潜在能力とは、そうした潜在能力を適切に喚起する「装置」が外部に存在することにより、はじめて実現可能となるものである(これは、プリパーソナル段階のみならず、パーソナル段階・トランスパーソナル段階においてもあてはまる法則である)。その意味で、人間の成長とは、常に、内的・外的、そして、個人的・社会的という要素を内包しながら展開する包括的プロセスであるといえる。今日、トランスパーソナリストとしてわれわれが必要としているのは、人間の成長というものを、こうした複数の領域における適切な支援を必要とする、たいへん繊細なプロセスとして認識することである。そして、そうしたプロセスが内包する可能性をできるだけ多くのひとびとが実現することができるよう、必要となる「支援装置」を共同体のなかに充実させていくための具体的な作業をすることである。


このような視点から、あらためて人間の成長というものについて検討するとき、林氏の研究は、われわれに、貴重なヒントを提供してくれる。そこでは、現代の日本が直面している実際の状況を検証しながら、具体的に、こうした真の意味での成長を可能とする基盤がどのように損傷しているのか、そのような損傷がどのようにひきおこされたのか、そして、それを修復するためにどのような対応が必要とされているのか、ということについて的確な分析がなされている。また、真のトランスパーソナリストとは、まず、パーソナリストであることができねばならない、という言葉の意味は、トランスパーソナリストとしての知見をもちながら、こうした目前の現実に積極的に対峙している林氏の同時代へのまなざしのなかにも感受することができるだろう。


確かに、現在でも、トランスパーソナル・コミュニティーには、パーソナル段階における成熟の重要性を認識する研究者は存在する。しかし、そうした問題意識にもとづいて、現代日本において、それを可能とする「装置」が多数の領域において深刻な溶解の危機にさらされていることを十分な危機意識をもって認識し、そして、そうした危機的状況に対する具体的な解決策を提案している研究者はいない。林氏の研究が、こうした現代日本におけるトランスパーソナル研究の「弱点」を見事に克服するものであるという意味において、その存在は大きな意義をもつものであるといえるだろう。ひとりでも多くの方に参考にしていただきたい。