スパイラルダイナミクス 限りなく上昇する探求



序文

この三ヶ月間スパイラルダイナミクス(人間発達についての深い洞察を示す理論)に取り組んだことで、私は、人を「色」として理解するようになってきました。私たちの存在に関わる複雑な状況、その全体像を操作可能なかたちで理解する際、誇張でも何でもなく、スパイラルダイナミクスは、一つの大きなブレークスルーであると言えます。この理論によって、そういった複雑な状況、すなわち、多様に錯綜する世界観や信仰やアイデンティティーといったものが、個人のレベルおよび文化全体のレベルの双方において、適用可能な8つのミーム・価値システムとして表されるわけです。次第に分かってきたことですが、人間の意識についてのこのダイナミックな螺旋形モデル自体、色分けされたミームの階層として、文字通り、私の世界認識そのものを「色分け」してくれるのです。


友人の結婚式に参加したときのことです。不意に自分が次のように人を見ていることに気づきました。十字架をもち質素な身なりをした女性は、ブルー(絶対主義者)のミーム、ローレックスを身につけたやり手の若者は、オレンジ(成功崇拝者)のミーム、長い髭を生やしたヒッピー風の人物は、グリーン(平等主義者)のミーム。そればかりでなく、共同体的生活や受容に憧れ、商業主義的会社形態や政治的保守に対しては偏見を持ち、環境問題等に強い関心を抱く自分自身を振り返りながら、いかに自分がグリーンであるかについても気づかされました。むろん、他方では、アウディーを自家用車にして(オレンジ)、道路を突っ走る(レッドの衝動)のも自分であることは確かです。


では、次のような見方については心配すべきでしょうか。私は、「ミーム」という大雑把に色分けされた「性格判断」によって、単に他者と自分自身を適当に分類しているだけなのでしょうか。ミームで構成されたスパイラルダイナミクスのモデルは、人間の複雑さ・多様さへの真摯な対峙を忘れさせ、そのような対峙でこそ明らかになる「自分は誰であるのか」といった(根本的な)問いをも忘れさせるような単に浅薄な方法に過ぎないのでしょうか。私の見解としては、スパイラルダイナミクスは、そのような冷たい分析的無関心や一面性とは反対に、むしろ(私自身を含めた)人間の心理や信仰や価値観といった広範囲の様相(これらが無意識的にも私たちの選択を左右し、アイデンティティーを形成するわけですが)に対して、深くかつ明快な洞察をもたらすものだと思います。また、スパイラルダイナミクスは、意外にも私たちを自由にしてくれる客観性をも備えています。個人的な経験を、人間心理発達の歴史全体という文脈の中に位置づけてくれるからです。その歴史全体は、原始的・生存主義的・本能(ベージュ)から始まり、最終的には霊的希求(ターコイズ)へ至る進化として――私の場合、環境平等主義(グリーン)が「投与」されているわけですが――私たちの中に存在しているものなのです。


 ただ、「なぜスパイラルなのか」という疑問が生じるかもしれません。スパイラル(螺旋)は、自然界の動きであり、陰陽であり、DNAから銀河系まで全てにおいて明らかに存在する普遍的なフラクタルであるからです。スパイラルダイナミクスは、人間の意識の進化が次のように表されるのが最適であるという立場をとるわけです。すなわち、徐々に複雑化のレベルを増していきながら発展していくのが人間の思考体系であり、それを図示するのが上向きの螺旋形状であるということです。たしかに、めまぐるしく行きかう現代世界を見るまでもなく、人間の意識は、数千年単位で劇的にその複雑性を増してはいます。一見、テクノロジーの恩恵に溢れたポストモダンな生活という私をとりまく環境は、スパイラルをかなり上昇しているだろうという幻想を抱かせます。しかしながら、スパイラルダイナミクス理論によると、私たち人類は、単にその歴史の最初の大きな一コマから飛び出そうとしているにすぎないのだそうです。その最初の一コマとは、根本的には「生存主義」と定義される十万年単位のものであり、スパイラルダイナミクスでは「ファーストティアー(第一層)」と呼ばれます。


ドン・ベック博士は、ほぼ30年近くにも渡り、スパイラルダイナミクス理論の発展・普及・実践に取り組んでいます。その実に包含的かつ統合的(インテグラル)な視点(これがスパイラルダイナミクスのエッセンスでもあるわけですが)を示しながら、注意深い熟考を加えながらも、誰もが自分の家族の事柄を語るような手軽さで、地球上のあらゆる文化を含む広大なタペストリーを描き出そうとしています。このような発展的人道主義の立場から、「スパイラルダイナミクス理論が、人類の歴史において私たちが直面する重大な問題や責任に対応し得るものである」というベック氏の情熱と誠実さを伺い知ることができます。


実際、ドン・ベック博士は、新世紀における「活動する哲学者」と呼ばれています。テキサス州デントンでの国立バリューセンター(National Value Center)の共同創設者、スパイラルダイナミクスグループ(Spiral Dynamics Group, Inc.)の会長兼CEOなどのグローバルな努力を、彼自身の定義によるところの「スパイラルウィザード(Spiral Wizard)」として、スパイルダイナミクスのモデルを世界の様々な領域・社会で大きなシステム変化をもたらすものとして活用しています。また彼は、クリストファー・コワンと共著で、1996年に「Spiral Dynamics: Mastering Values, Leadership, and Change(スパイラルダイナミクス:価値観・リーダシップ・変化の習熟)」(邦訳未刊行)を上梓しました。これは、クレア・グレイブス教授(故人)により提案された、人間発達に関する「価値システム」理論に基づき、それをさらに発展させたものです。ベック氏は、長年に渡るコンサルティングの経歴を通じ、英国政府でトニーブレアー首相の政策部門担当者との面会、シカゴ中心地ではそこの教育機関が直面している問題への言及、世界銀行ではアフガニスタンの未来への言及、さらには、主要銀行、エネルギー関係企業、航空会社、政府機関の会議室などと、様々な場所へと足を運んでいます。


ドン・ベック氏は、人種問題についてビル・クリントン元大統領と討議し、ネルソン・マンデラ大統領とは深い和解戦略を共有し、「民主的な南アフリカ」における平和の実現を通して中心的な役割を演じました。これにより、1996年、故郷のテキサス州政府より栄誉賞を受理。最近では、「大規模な調停・変化・変容を扱う新しい導き手」(「スパイラルダイナミクス・インテグラル Spiral Dynamics integral (SDi)」と呼ばれています)として、スパイラルダイナミクスをさらに強力な道具にするため、インテグラル理論の思想家、ケン・ウィルバー氏、アーリントン学会(Arlington Institute)の会長、ジョン・ピーターセン氏らとも協力し合っています。


彼自身の豊富な経験に基づき、ドン・ベック博士は次のような観点から説明してくれます。歴史上かつてないほどに危機的かつ要求の多いこの時代は、人間の変容と地球規模での和解が必要であるわけですが、そう認識する者にとって、いまなぜスパイラルダイナミクスは非常に評価されるものなのかという点からの説明です。実際、スパイラルダイナミクスに精通するにしたがい、説得力に満ちたこの理論が、なぜ「人間の本質や知性における進化の重要性に関する新しい定義」に他ならないのかということが、容易に明らかになります。


スパイラルダイナミクス8段階の螺旋状の発展



 

ターコイズ・全体性(ホリスティック)のミーム ― 30年前より出現

基本概念:知性(マインド)と霊性(スピリット)を通して存在の全体性を経験する。

  • 世界は、われわれの集合知性と共に一つの動的な組織体である。
  • 自己(セルフ)は、独立した「個」であると同時に、慈愛に満ちた大きな「全体」にとけあった「一部」でもある。
  • 全てのものが、全てのものに生態的に正しくつながっている。
  • エネルギーと知識が、地球上の全体的環境の中に行き渡っている。
  • 全体的・直観的な思考と協力的な活動とが期待される。

 

イエロー・統合性のミーム ― 50年前に出現

基本概念:自分らしくありながら学びつつ、責任をもってフルに生きる。

  • 生きることは、自然の序列、システム、かたちあるものの万華鏡である。
  • 存在の素晴らしさは、物質的所有とは関係のないところにその価値をもつ。
  • 柔軟さ、素朴さ、機能性が、最優先される。
  • 相違が、相互関係と自然な流れの中へ統合され得る。
  • 混沌や変化も自然なことであるのを理解する。


 

 「私が提案しているのは次のようなことです。行動システムが古く低いレベルから新しく高いレベルへと進展するという従属関係において、人の実存的諸問題の変化に伴い、開かれ、解き放たれ、揺れ動く、螺旋的なプロセスであるのが、成熟した人間の心理である、と。」  

クレア・グレイブス博士




 

グリーン・共同/平等のミーム ― 150年前に出現

基本概念:内的自己の平安の追求、他者と共にコミュニティー全体への気づかいを探求。

  • 人間の精神は、貪欲・ドグマ・分裂から自由でなければならない。
  • 感覚・感性・気づかいが、冷たい合理性にとって代わる。
  • 地球上の資源や機会を、全て平等に分け与える。
  • 和解と一致のプロセスを通して決定に到る。
  • 精神性の一新し、調和をもたらし、人間の発展を豊かにする。

 

オレンジ・達成/戦略のミーム ― 300年前に出現

基本概念:勝つためにゲームをし、自己利益のために行動しろ。

  • 変化と前進は、物事の枠組みに本来的に備わっているものである。
  • 自然の仕組みを学び、最適な解決法を求めることで進歩する。
  • 良い生活が、大量に作り出され広く行き渡るため、地球上の資源を操作する。
  • 楽観主義でリスクを厭わず自立した人々が、成功に値する。
  • 社会は、戦略と技術と競争によってこそ繁栄する。

 

ブルー・目的があること/権威主義のミーム ― 5000年前に出現

基本概念:人生には、定められた結末による意味と方向と目的がある。

  • 超越的な「理由」・「真理」・「正しい道」へと自己を犠牲にする。
  • 永遠の絶対的な理念に基づく「命令」が、行動規範を強制する。
  • 正しい生活が、今の安定を生み出し、未来の報酬を約束する。
  • 衝動は罪の意識によりコントロールされ、全ての者が相応しい場所を有する。
  • 法律、規則、規範が、道徳的性質および人格を形成する。

 

レッド・衝動/自己中心性のミーム ― 1万年前に出現

基本概念:手段を選ばず、自分のなりたい者になり、したいことをする。

  • 世界は、威嚇と略奪に満ちたジャングルである。
  • 自己の欲望を満たすため、いかなる支配と強制も自由に打ち破る。
  • 背伸びし、注目を期待し、尊敬を要求し、采配を振るう。
  • 後悔と罪の意識なく、今だけの自分を楽しむ。
  • 他の攻撃的な人物を制し、出し抜き、支配する。

 

パープル・呪術/アニミズムのミーム ― 5万年前に出現

基本概念:精霊を喜ばせておけば、部族の住み家は暖かく安全である。

  • 精霊や神秘的なしるしの要求に従う。
  • 首長、年長者、祖先、一族への忠誠を示す。
  • 個人が集団に包摂される。
  • 神聖な物品、場所、出来事、記憶の保存。
  • 通過儀礼、季節のめぐり、部族的慣習に忠実である。

 

ベージュ・本能的/生存的のミーム ― 10万年前に出現

基本概念:ただ生きるためだけのことをしろ。

  • 生存のための本能と習性のみを使う。
  • 個としての自己が、かろうじて意識あるいは維持される。
  • 食物、水、温暖、セックス、安全が最優先される。
  • 生活の継続のために生存集団が形成される。
  • 他の動物たちとは、一線を画して暮らす。

 

インタビュー


WIE: ベック博士、スパイラルダイナミクスの基本概念の説明から始めていただけますか。


ドン・ベック: まず、スパイラルダイナミクスの概念としては、「人間性とは固定されているわけではない」ということあげられます。われわれは、生まれながらに固定されているわけでない、と。むしろ、知性や脳のそれ自体の性質からみても、われわれは、新しい概念世界を構築していく能力を備えているわけです。ですから、われわれが描こうとしているものは、簡単にいえば、「人間というものがいかに、物事が最悪のときでも、新たな問題に対処するため、より複雑な考えを生み出しながら、そのような状況に適応していくことができるか」ということなのです。


WIE:考えや認識をより高いレベルへ発展させるという、私たち独自の能力とは、いったいどんなものなのか、その辺りをもう少し詳しく説明していただけませんか。


ドン・ベック: スパイラルダイナミクスは、次のような前提に基づいています。すなわち、われわれは、適応可能な知性、いわゆる「複合的で、適応可能な、文脈に規定された知性」というものを持っており、この知性が、われわれの生活状況や諸問題(スパイラルダイナミクスではライフコンディションと呼んでいるものですが)へ対処しながら発展する、という前提に基づいているわけです。われわれが常に注目しているものは、そういったライフコンディションを原因として生み出されるダイナミクスであり、さらにそういったライフコンディションに対処する中で洗練されていく、いくつかの対処機能や集団的知性であるわけです。これらの集団的知性のことを、ミームといいます。


WIE: 人間の知性に関する進化の性質を指摘されているようにも思われます。これは、実存的諸問題、もしくはライフコンディションというものに対して、私たちが適応し、そして生きながらえることを可能にするわけですね。ミームに関する進化の意義についてさらにお話していただけますでしょうか。


ドン・ベック: 遺伝子やウィルスやバクテリアと同様、ミームも、この宇宙においては同じ基本原理に従っています。つまり、更新するという概念であり、再生するという能力です。それぞれ先に続くミームは、新たに設定された優先順位や枠組みや特定の結論を伴いながら、より拡大された地平と、一層複合的な組織化の原理を含むことになります。これは、問題解決の方法でもあります。ライフコンディションに対処することで生じる「何が重要であり、なぜそうなのか」という問いに対して、優先順位を課していくという方法なのです。ちょうど、からだの全体を通して複製されていく生物学的DNAコードと同じように、ミームのコードも、生物・心理・社会・霊的なDNAタイプのスクリプトであり、文化全体を通して広がっていく設計図であり、文化表現、生存規範の形成、起源神話、芸術形式、ライフスタイル、共同体の理解といった全ての領域において使い尽くされるものなのです。


WIE: つまり、人間は、ライフコンディションに適応していくことで、新しい知性あるいはミームといったものを目覚めさせていき、これが文化の発展を形成していくということですね。


ドン・ベック: そうです。文化、そして国も同じように、こういったミームあるいは価値システムといったものが現れてくることによって形成されていくわけです。これは、集団を結束させる接着剤のようなものでもあり、自分たちが誰であるのかを定義するものであり、また地球上のどこに自分たちが居住しているかという場所をも反映しているものなのです。

私の長年の友人であり仕事仲間でもある、故クレア・グレイブス教授は、次のようなことに気づいておられました。人間の意識の進化に関する深いパターンというものが存在し、それは、心理的・文化的な存在、あるいは価値システムとして8つのレベルに分類される、と。これが、スパイラルダイナミクスの基礎となったのです。また、同じ原理または存在のレベルが、社会全体だけでなく、一個人にも適用されるのです。グレイブス氏は、自身の研究で何千人もの人々と接してきたなかで、常にこのような深いパターンを注意深く観察しておられました。また、これは、われわれの動的な神経学上の知識に関する異なった活性化レベルを反映しているとも、グレイブ氏は論じておられます。


WIE: スパイラルダイナミクスの概略を、8つのミームの階層または存在のレベルと一緒にご説明いただけますでしょうか。


ドン・ベック: グレイブ氏の言葉で借りれば、まず「ファーストティアー(第一層)」が、「存在」または「生存」によって特徴づけられる6つのミームによって形成されています。これはつまり、われわれは神々よりも動物に近い存在であり、本質的に地上に根ざした存在としての諸問題に関わっていかねばならない、ということを意味しています。ですから、ファーストティアー(ベージュ、パープル、レッド、ブルー、オレンジ、グリーン)は、「生計」や「生存」のレベルの関心によって構成された集まりなのです。他方、セカンドティアー(イエロー、ターコイズ)は、情報が十分かつ高度に行き渡るグローバルな共同体という背景において、ファーストティアー全てのシステムを健全なかたちで生み出すものとして機能します。なお、グレイブス氏は、9つめの可能性とともに、存在のレベルを8つに分類しておられるのですが、一方でスパイラルダイナミクスとは、拡大していきながら自由に変更されていく可能性をもち、継続的でダイナミックなものでもあります。最終的な状態、究極の目的地、ユートピア的パラダイスといったものは存在しないわけです。これは、終わりのない上に向かって進む探求であり、それぞれのステージが次のステージの前兆となり、さらにそれがその次のステージの前兆となる、そしてさらにその次のステージへと続いていく……というものなのです。


WIE: そうすると、こういったステージやミームをスパイラルに上昇させていく動因とは、何なのでしょうか。


ドン・ベック: われわれが直面する危機です。なぜなら、これらが、人間の発展を次のレベルへと移動させる引き金となる変節ポイントや基準点をもたらすからです。存在のレベルやミームの一つ一つは、硬直した階層的なステップというよりもむしろ、浮かび上がる波のようなものであり、流動的な生きたシステムなのです。ひとたび新しいレベルが文化において現れると、以前に獲得された全ての発展ステージは、価値システムの一部としてそのまま残されます。ケン・ウィルバー氏の言葉でいえば、それぞれの新しい社会ステージが、以前に獲得された全てのステージを「越えて含む」ということです。この理由から「より複合的な思考システムは、より大きな自由度を有している」といえるわけです。


WIE: 心理的文化的発展に関するこれらの進化ステージ出現を図示するのに、なぜ、スパイラルモデルを使用するのですか。


ドン・ベック: 人間のシステムまたはミームが、複合性のレベルを増加させながら進化していくため、こういった人間のシステムやミームの出現を描写するのには、スパイラルの渦が最適なのです。それぞれのミームがその時代状況の産物であるということから、スパイラルに上昇する回転の一つ一つが、既に存在するものの頂点へ、さらに洗練された覚醒として示されるわけです。そして、これらのミームが、複合的に増加するスパイラルを形成していくのですが、こういった増加する複合性は、一個人や家族、組織、文化、社会といった範囲にも存在します。われわれは皆、絶え間なく流れる状況の中で生きているのです。新しいワインがいつも古い皮袋に入れられるのです。そして、次のことから、このような全体的な進化のプロセスが実際に機能していることが分かるはずです。すなわち、われわれは、何千万代もの年月の間、敵対的な環境と戦いながらも何とか生き残り、まだここにいるわけですから。われわれは、生まれながらに自分自身を更新する能力を備えた素晴らしい種族なのです。このことが、われわれを人間にしているわけです。


*「ミームの概念」

ミームの概念は、1970年代中ごろ進化生物学者のリチャード・ドーキンズによって最初に提唱されました。彼は、文化の進化は遺伝的または生物学的進化から独立したものとして考えるべきであると信じていました。ドーキンズのいう「ミーム」は、「文化的伝達装置の構成単位」のことを意味します。その例は、歌や、思想や、服装ファッションといったいくつかに限定されます。しかしながら、スパイラルダイナミクスにおいては、これらは「小ミーム」と呼ばれるに過ぎないものなのです。ベックが「ミーム」という言葉を使用するときは、「価値システムの中心」または「価値ミーム(バリュー・ミーム)」といったものについて語っているのです。これらは「組織化の原理」といった役割を果たすものであり、これら自身が小ミームを通して表現されているものであり、また、あまりにわれわれの思考の中心的なものとなっているため、これらは「人々の集団全体および諸文化全体に行き渡るものであり、それら自身において枠組みを構成するもの」なのです。




「超えて含む」



「新しい世界観が現れてきても、それ以前に現れていたミームが消えてしまうということはありません。むしろ、それらは、全体の流れの中に包摂するかたちで残され、より複雑な生活のあり方として織り込まれるだけでなく、万一、それらが必要な問題が生じるかもしれない場合に備えた“待機”として残されます。ですから、システムがわれわれに内在しているわけであり、世界観のミニチュアのそれぞれが、異なった生存問題に対応することになります。ちょうどロシア人形のようなもので、システムの中にシステムがあり、その中にまたシステムがあるというわけです。」

イラストにあるスパイラルの断面図が、どのように新しい社会ステージやミームが、それ以前の全てのものを、“超えて含む”関係にあるのかを示しています。



最近までずっと、科学技術のもたらす満足やめまぐるしい日常の所要などに追いまくられおり、またそうしていること、つまり、私自身が、進歩・発展を生み出す存在であるとさえ考えていました。しかし、ミームという「進化の発展段階」を表すスパイラルダイナミクス・モデルのおかげで、次のような見方に到ることができたのです。つまり、ベージュの本能、パープルの神秘主義、レッドの自己主張、ブルーの従順、オレンジの物質主義、グリーンの平等主義……という見方です。自分自身を個人的にも全てのミームに関連づけることができるわけです。そしてこのことが、「スパイラルダイナミクスが、いかにして人間進化を現実的かつ理解可能なものにしているか」ということを物語ってもいます。人類全体の歴史段階が、私個人の中にも現れているのです。新しいミレニアムを迎えると同時に、人類は、スパイラルのセカンドティアー(第二層)をも迎えようとしている。私にはそう思えるのです。

しかし、スパイラルダイナミクスによれば、ファーストティアー(第一層)の全てのミームは、いかに洗練されているように見えても、根本的には「生存」に基づくものに過ぎないとのこと。つまり、私自身、アウディーや携帯電話やパームパイロットに囲まれながらも、単に生存主義的モードの下でしかあり得ないということでしょうか。実際のところ、私自身も、自分の中での「進化に伴う伝承」というものについてじっくり考えたこともなく、そのことがおそらく、「その日その日を何とかやり過ごすということが私の最大の関心ごとに過ぎない」ということを示しているのでしょう。しかし、スパイラルダイナミクスによれば、私が意識しているかどうかに関わらず、ミームという「複合的に適応可能かつ文脈に依存する知性」は、数千年間ずっと発展しつづけながら、「内的なパレット」として私のものの見方を色づけし、「可能性のスペクトラム」としての有益性をもたらしてくれているわけです。

 

ミーム


ベージュ


WIE: スパイラルダイナミクスのモデルは、10万年前に始まる最初の「存在のレベル」であるベージュのミームの出現から、私たちの進化の発展を図示していくわけですが、人間の発展のこの最初のステージを定義するもの何なのでしょうか。


ドン・ベック: ベージュは、生まれながらにもつ基本的な生存の知識といったものを引き金にして動かされる「命令的な心理的欲求」であり、事実上、「無意識的な存在の状態」であるといえます。その最初のかたちは10万年前に始まり、「存在のベージュレベル」は、われわれを人間にする最初のステップです。単に人間が、他の動物もいる環境において生き延びようと格闘しているわけです。ただし、われわれは、より洗練されていて、所有物を保存し、他の捕獲者から逃れるために家族的集団を形成するという、概念的なスキルを有しています。このような「生存のための部族集団」においては、父としての首領が最初に食事につくことになります。最も強いこの人物が死んだ場合、その家族集団には生存の望みがなくなってしまうからです。ですから、ベージュにおいて鍵となるものは、よく見ることができる、よく聴くことができるといった高度な感覚のシステム(背筋がゾクッとして髪の毛が逆立つことで物事を感じる殺気のような)本能的な知性を用いたサバイバル技術なのです。簡単にいえば、「生き残っている」ということが、何にもまして最も高い価値を持っているということです。


WIE: 今日の世界においても、ベージュの事例として残っているものはあるのでしょうか。


ドン・ベック: 今日、素朴な状況で唯一本物のベージュとして存在するものは、インドネシアやアフリカの一部に隠されてしまっているでしょう。しばらくの間、私は、ブッシュマンの調査をしたことがありますが、彼らは、「どこに水があるのか、どこにダチョウの卵が埋もれているのか」を呼び起こしたり、天気の変化を感じることができたりといった「神秘的な能力」を備えていることは明らかです。したがいまして、彼らが「原始的である」ということを、いわゆる「無知である」ということと同じにはできないわけです。実際、遠く離れたものを見る能力(これはこのレベルにおいて備わっている価値・能力ですが)などを含めて、16もの異なった感覚が存在することが可能です。ただ今日、われわれの中では、これらの感覚のほとんどは、萎縮してしまったか、複合的な概念システムに覆われてしまっています。


WIE: 実際には、このベージュ・ミームの「素朴さ」を代表しているわけでもなく、原始的でもない人が、場合によっては、ライフコンディションに応じて、ベージュレベルになることを強いられる、ということはあり得るのでしょうか。


ドン・ベック: そうですねえ。食べるものを見つけたらその場で奪ってしまうような、基本的に狩猟採集者であるような路上放浪者の中に、ベージュの断片を見出すことはできるでしょう。ソマリアやエチオピアでの極限的貧困という恐ろしい状況下で「その日暮らし」しかできないという場合、そのようなことを確かに確認できます。また、飢えたときは食べるだけという新生児もそうでしょう。さらにまた、大災害に見舞われた人々が、ベージュに退行してしまうこともあるでしょう。個人的な悲劇や、極限的な苦難、または喪失といった状況の中において、突然、高位の優先順位が消失してしまうわけです。「恐怖」が動因となるところでは、確かにある種の「虚無」や「無意味」が存在します。なぜなら、そこでは突然、「分別」や「期待」といったものが消失してしまい、ただ自分の足だけで立ち、ただ自分のたくらみでしか生きられないからです。何か全く異質なことをしなければならないとき、今まで一度もしたことがないことや可能かどうか確信がもてないことをしなければならないとき、われわれはこのような感覚に陥ります。「9月11日の出来事」以降、非常に異質な心理的状況に追いやられたがため、人々が一時的にベージュに戻ってしまったのを目撃しましたが、これもそうであると私は思います。



パープル


WIE: スパイラルにおける第二のレベルは、パープルです。ベージュの原始的存在から次の存在のレベルであるパープルへ移行するにあたり、どのような進化的発展が特徴づけられるでしょうか。


ドン・ベック: パープルは、アニミズム的、部族的、神秘的であります。このようなパープルの世界において、「一定の親族または部族に属しているがゆえに、私は何者かである」という同族意識による人間集団の最初の証拠を見出すことになります。氷河期の間、世界は人口過剰になりました。いままで以上に一定面積に占める人間の数が増えてきたわけです。ベージュのシステムにおいては親族集団がありましたが、それらは、生存に適した場所の争いを巡って別の親族集団との衝突を始めていました。そして突然、緩やかな集団であった一つの親族集団が、400人から500人単位の部族へと結集されたわけです。そうすることで、かつての親族集団が、他の親族集団との競争の中で生き残ることができるからです。つまり、ライフコンディションの一つが変化したのです。この変化により、ベージュから、そういった領土の問題や資源へのアクセスに対応できるパープルへと移行されたわけです。

そして同時に、「因果関係に対する現実的な理解に覚醒する」という異変が、初めて脳において生じました。これは、形而上学的なものへの最初の感覚でした。ベージュの知性においては、諸々の出来事は「ほとんど予期できないもの」として、「それぞれがつながりなくばらばらなもの」としては捉えられていました。しかし、たとえばアフリカにおいては、もし満月になり雌牛が死んだならば、パープルの知性は、この二つの出来事をつながりのあるものとし、「一方が他方を引き起こした」と捉えます。ですから、形而上学的なシステムへの覚醒は、集団的結束をより強固にする能力と共に、約5万年前の氷河期に生じたライフコンディションの変化によって急に引き起こされた「原初的な人々(ベージュ)から神秘的な人々(パープル)への移行」において発生したものといえるでしょう。


WIE: 「結束し共に働くための能力」が現れたことが、文字通り、生存の機会を向上させたかのようですね。


ドン・ベック: 全くその通りです。「文字通り」そうなのです。そして、これらの生存のステージまたはミームが、生物的・心理的・社会的システムを代表しているので、生物学的および身体的な能力や技能の進化的な出現をも指し示すことになるのです。たとえば、様々な健康的な利益をもたらす脳内化学物質オキシトシンの量は、人が集団で食事をしたときの方がより多くなります。ですから、一緒に食べたり、種々の祝宴についたりということの全てが、脳内のオキシトシンレベルを高め、生存能力を向上させるわけです。もう一つ、この時期に発達したことは、どのような脳内物質であれ、それが人に「内なる声」や「霊の声」というものに耳を傾けさせることを可能にしたという点です。パープル・ミームは、「優れた直観」や「場所や物事への感情的執着」、「因果関係への神秘的な感覚」といった、いわゆる「右脳的な傾向」を多く含みます。東アフリカのズールー族の人々と一緒に「聖なる場所」において長い時間を過ごした際、私自身、パープルの感覚がかなり発達していたはずです。




レッド


WIE: そのような儀礼や部族集団を得て、パープルは、ベージュの原始的存在からかなりの飛躍と遂げたようです。スパイラルの次のレベルであるレッドは、どのようにしてパープルから立ち起こってきたのでしょうか。そしてレッドを特徴づけるものとは何なのでしょうか。


ドン・ベック: レッドの領域において、われわれは最初の「あからさまな自己中心性」というものをもつことになります。「私は何者かである」ということです。およそ1万年前のことです。ライフコンディションの変化は、レッドを失敗ではなく成功へと導きました。パープルにおいてわれわれは大きな成功を得ることができました。食物を見つけ、生活様式を安定させ、生活において危険と考えられてものを克服することができました。全てはスムースにはかどり、退屈にさえなってきました。そして多くの若者たちが不満を抱くようになりました。彼らは自分たちのことを「守られている」というよりはむしろ、「包囲され、制限されている」と見なし始めたのです。そしてレッドが一気に歩み出したのです。すなわち、エリートとしての個人が現れ、パープル的結束の構成要素であったところから飛び出し、「度を越す」に到ったのです。こうして、パープルが成功を通して得たものが、今度は、「強力な個人」を必要とし始めたのです。たとえば、「丘の向こうへ連れて行くこと(選挙)」を行なう十分な時間がない軍事的状況において、そのような個人は、権力を志向し、支配力を行使することになったのです。そこで自由に飛び出してきたものが、「あからさまな自己」であるわけです。すなわち、それらの「自己」は、「集団の秩序に背く者」であったり、「集団の合意に異説を唱える者」であったり、「暴力的な力を行使しようとする者」であったり、「我が道を単独で歩む者」であったり、「権力志向の自己」であったり、「自己の満足を追及する者」であったりするわけです。


WIE: レッド・ミームの肯定的な面を理解するのは、さらに難しそうですね。人間の結束や形而上学的な感覚を強調している点で、私は、パープルの方に魅力を感じます。


ドン・ベック: レッドも含め、全てのミームには、肯定的な面と否定的な面の双方が存在します。レッドにおいては、高い犯罪率や、あらゆる種類の怒りや反逆が見受けられます。しかし、創造性、英雄的行動、伝統を打ち破り新しい道を切り開く能力といった、素晴らしいものの発露を見出すこともできます。そしてレッド的な反逆や衝動は、パープルが結束により物事を固定させたがゆえに生じたものなのです。また、レッドは、パープルのシステムによる若者への儀礼や生贄の強要(苦痛の伴う通過儀礼など)に対する反抗でもあったわけです。これゆえに、レッドがパープルの次に現れたものであり、パープル自体が、レッドのステージを用意したともいえるわけです。

ここは非常に重要です。この相互関係をぜひ理解していただきたい。ミームは、「ただばらばらに漂っているだけのもの」ではないのです。レッドは、パープルよりも優れているわけではないのです。「優れている」のではなく。「異なっている」のです。ですから、真っ先に「ライフコンディションは何か」について尋ねる必要があるのです。ライフコンディションが、強く自己主張的であることを要求し、悪条件から逃れるため戦うことをも要求するのであれば、レッド・ミームこそが、その要求に即したあり方となります。レッドは、常軌を逸しているわけではなく、ミームのレパートリーの一つとしては正常なものです。この視点は、スパイラルダイナミクスの基礎となるものです。ですから、ミームに関して次のようなことを受け入れることです。すなわち、ミームは、単に「優劣の序列」を表すものではなく、むしろ、それぞれが肯定的にも否定的にも表現されるということ。さらに、スパイラル全体が、各種多様なミーム・コードを伴いながら一個人の中に存在しており、ライフコンディションの変化に伴い「何が要求されるのか」ということに応じて、常に呼び出されるものなのです。



ブルー


WIE: そしてスパイル4つめのミームです。では、レッド的個人主義と自己中心性によって生み出された、ライフコンディションの諸問題からお話していただけますでしょうか。これらの諸問題が、究極的には次のレベルであるブルーへの移行を要求することになったわけですから。


ドン・ベック: ブルーにおいては、「超越的な目的の探求」・「秩序と意味の重要性についての認識」・「一つの高遠な力に支配された宇宙」というものが存在します。社会は、争いや集団的闘争や闘争的指導者といったものが付随するレッドの存続では、もはや機能しなくなったのです。ですから、レッドの成功によって生み出された諸問題を解決するためには、成長しなければならないのです。ここで初めて、罪を感じる能力があらわれます(レッドは、恥は感じますが、罪は感じません)。ブルーのシステムにおいて、人々は、権威主義や独裁主義や自己犠牲を普遍的善として喜んで受け入れます。

ブルーの発展において最初にしなければならないことは、レッドを抑えることです。このため、旧約聖書には「目には目を、歯には歯を」といった刑罰法があるわけです。非常に重いレッド的要素が存在している場合は、宗教的・法的制度においてブルー的にも非常に重い刑罰法が存在することになります。これは、レッドの脅威を抑えるために作られたものなのです。ですから、レッドの脅威が存在するかぎり、ブルーによるこのような刑罰法も存続することになります。ただし、ブルーがレッドの暴力から離れるしたがって、より制度化されたシステムが確立されていき、生活のサイクルはさらに健全なものへと移行していきます。このような制度化されたシステムにおいては、公正、規律、義務、安定、忍耐、秩序といったものが、広く行き渡ります。

同時に脳において生じると思われることは「高度な抽象化の能力」であり、この抽象化の能力自体が、「原因」、「偉大なる出来事」、「主義」といったものに固執することになります。たとえば、仏教の八正道やイスラム教の思想、これらはいずれも抽象的なものです。ですから、再び、形而上学の領域に入ることになります。しかし今度は、パープルで精霊だったものが、「強力な要塞がわれわれの神である」というかたちに組織化されます。したがいまして、これは、一神教やゾロアスター教あるいは全ての「主義」といえるものの誕生となります。これらはおよそ5000年前に突然あらわれ始めたものです。これらの「内容」は異なっていても、「思考の様式」は全て同一なのです。


WIE: 世界の宗教というものをこのような観点から考えたことは一度もありませんでした。それぞれの「内容」は異なっていても、発展についての同じ進化のステージを表しているわけですね。


ドン・ベック: そうです。なぜなら、これらのミーム・コードは、設計図または磁石のようなものだからです。われわれが「ブルー」と呼ぶミーム・コードは、「超越的目的を見つけるもの」だということです。そのような超越的目的とは何なのでしょうか。それは、仏教でもあり、ユダヤ教でもあり、イスラム教でもあり得るわけです。これらの宗教的表現は、ミーム・コードとしては、表現方法そのものとして関わるだけなのです。したがいまして、それぞれの「主義」の間で聖戦が行なわれたとしても、双方ともブルー・コードということになるわけです。というのは、核心となる価値システムやミーム・コードそれ自体と、これらの表面的レベルとは異なっているからです。


オレンジ


WIE: 制度的、規律的、絶対主義的なブルーは、どのようにして、スパイラルモデル5つめのレベルであるオレンジ・ミームへと上昇するのでしょうか。


ドン・ベック: オレンジは、前進、向上、進歩に関することです。これまでのミームと同様、ブルーの基本概念も、一度それを究極まで使い果たして、大きな成功を得ることができます。ただそのとき、何が起こるのでしょうか。個人は落ち着きがなくなり、「しかし、私は個人としての自立性を主張したい」ということになります。これに対してブルーは「ノー」というわけです。「おまえは、従順のまま、制度・組織の命令に従わなければならない。天国へ行きたくないのか。平穏な余生をおくりたくないのか」と。そしてオレンジはこう言います。「もちろん。しかし私は、地上にも天国を作り出すこともできる。人生の楽しみをもっと増やすこともできると思う」と。かくして、偉大なる啓蒙が得られることになります。すなわち、個人の精神が大きな拘束力を打ち破り、自由になるということです。

さて、ブルーのシステムが最初に現れたとき、それは妥当なものであり、必要なものでした。しかし、聖なる指導者が厳しく罰を与える者となりはて、疫病から人々守ることができず信用を失ってしまったとき、オレンジの個人主義化が現れ始めたのです。およそ300年前のことです。こうして、ありがたいことですが、「科学的方法」が誕生したのです。また、「楽観主義」や「物事を変られることへの信仰」を益々強めることになったのです。すなわち、「われわれは未来の変えることができるのだ」という信仰であり、「世界へ執行権を行使する者であり、支配権をも有する」という信仰なのです。われわれは、自分自身のために「よき生活」を作り出すことができるということです。そして再び、ある素晴らしいことが「(西欧に代表されるような)合理的な脳」に生じます。それは、まず1700年代に起こったようですが、数学的知性や韻律の感性や線的知性といったのであり、これらが、音楽を書くことを可能にし、数量化と測量化を可能としたのです。こういった「古典的な左脳の能力」は、オレンジシステムにおいて「(西洋的な)合理的な脳」として独特に発達したものです。この素晴らしい展開は、全体として「西洋的なもの」などと分類されていますが、実際、その通りではあります。


WIE: このような言い方でオレンジについて語っていただくのを聞くと、ほっとします。というのは、私は、この特定のミームについて、否定的な影響ばかりを想像していたからです。たとえば、オレンジの産業化がもたらした環境破壊など。


ドン・ベック: だからこそ、われわれは、次の3つの事柄に目を向ける必要があるのです。「ライフコンディション」、「ミーム・コード」、そして「ミーム・コードが一定の文脈において表現されるあり方」です。オレンジのミーム・コードの表現である資本主義や消費主義が嫌いであっても、それは、このミーム・コード自体が嫌いであることとは同じではないわけです。このミーム・コードは、物事を処理し、向上させる機能に過ぎないのです。オレンジ・ミームに本来備わっているこの処理能力および創造力は、今日、環境を一掃できるものとさえなっています。実はこのため、われわれは、これらのミームやシステムを否定しやっつけることができないのです。ここから現れたものに挑むことはできます。しかし、オレンジ的な思考体系なしでは、医学的な問題を解決できなかったし、また、水や空気の浄化方法さえも見つけられなかったでしょう。そして、ブルーの神話と神秘主義の深みに沈み込んでしまっていたことでしょう。このようなことが起こるのは、誰も望まないと私は思いますね。



グリーン


WIE: グリーン・ミームは、フィーストティアー(第一層)の最後のレベルです。このミームがどのようにしてオレンジから現れてきて、人間性が現れてくるスパイラルの上昇においていかなる役割を演じるかについて、お話いただけますでしょうか。


ドン・ベック: この頂上において、グリーンは、「共同主義者」であり、「平等主義者」であり、「総意の一致を求める者」であります。オレンジなしにはグリーンはあり得なかったでしょう。なぜなら、オレンジにおいては、内面的なものは回避・無視されていたからです。科学は、心や魂に関する感覚を麻痺させ、われわれを単に「外部的な成功のみを感じる者」にしたのです。「よき生活」は、ただ物質的なもののみがその基準となったのです。こうして、「自分自身からも他者からも、自分を疎外させてしまったこと」に、われわれは気がついたわけです。ですから、およそ150年前(産業、技術、裕福、啓蒙の時代を克服するものとして現れた)この最新のミームであるグリーンは、「このような産業・技術・裕福・啓蒙といった事業の全てにおいて、基本的な人間性が無視されていた」ということを宣言するわけです。グリーンにおいては、焦点が「個人的達成」から「グループ・共同体主導の目標・目的」へと移行します。われわれは皆、一つの「人間家族」であるというわけです。

グリーンは、まず、自分自身の中に平和を築き始めます。そしてさらに、社会における不一致や衝突といったものに目を向け、そこでの平和の実現をも望みます。すなわち、オレンジやブルーやレッドによって生み出された経済格差や不平等に取り組み、そこに平和と友好関係をもたらして、われわれ全てが平等に分かち合えることを望むのです。性的役割は固定されたものではなくなり、ガラスの天井は開き放たれ、賛同を得た活動計画は実行され、社会階級は曖昧となります。スピリチュアリティー(霊性)は、無宗派的・無教派的な「統一」に回帰します。


WIE: そして、グリーンは、ファーストティアー(第一層)の最後のレベルとして、スパイラル・セカンドティアー(第二層)である「あること(存在)」のレベルへ私たちを導く準備となるべきなのですね。


ドン・ベック: そうです。なぜなら、グリーンが到達したものとは、かなり肯定的な言い方をすれば、スパイラルの浄化であり、人生でのあらゆる異なった経験における平等性の宣言なのです。これは、ブルーとオレンジの支配を弱めてしまい、たとえば、パープルやレッド固有の人々がCNNの枠をとって日の目を見ることを許してしまいます。確かに、平等や同じであることやそういったことの過敏さという意味では機能していますね。むろん、良い目的においても機能しています。なぜなら、グリーンなしでは、われわれは、イエローやセカンドティアー(第二層)に行くことはできないわけですから。



私はグリーンなのでしょうか。つまり、私は、環境問題に関心があり、平等主義者で感受性が強く、スピリチュアルで偏見を持たず、文化的なことに意識の高いといった人物のよい例なのでしょうか。きっとそうでしょう。グリーンであることは、霊的成長(スピリチュアルトランスフォーメーション)―イエローやターコイズ―への情熱を抱くことなのでしょうか。そうなのでしょう。私の中の「グリーン的なるもの」が、また同時に霊的成長を妨げてもいるのでしょうか。まさにそのとおりなのでしょう。これら全てのことは、非常にグリーン的であった私の両親から始まったのです。彼らは、教養があり知的で進歩的なタイプでした。両親ともに博士号を取得しており、ともに教師でした。彼らは、私が6歳のときに離婚しました。当時は、離婚といえばまだ珍しいことでした。私は、いわゆる「ブロークンファミリー出身」というグループに属していたわけです。しかも、両親のそれぞれの祖父・祖母さえも離婚の経験があり、これはもちろん彼らの時代では極めて「先進的」なことでした。ベトナム戦争反対のデモに参加している父の写真が、1970年のニューヨークタイムズの表紙を飾っていました。母は、父に対してばかりでなく、共和党についてもいつも苦々しく不満をもらしていました。母は、恵まれない小さな子供たちのために働き、熱心な擁護者として、子供たちを締め出していた学校に対しても批判的でした。


私の家族は、自己陶酔的な活動(レッド)に溺れる要素が多分にあり、他方、規律(ブルー)に関してはほとんどうるさく言うことはありませんでした。毎週教会には欠かさず通う(典型的なブルー)といった堅苦しい家庭が近所にいるような生活の中で成長していくのをちょっと密かに想像したりもしました。「組織の仕組み」や「役割分担」といったものに憧れていたのです。しかしそう考えた途端、その考え自体に息が詰まりそうになる自分もいました。そして、こうした私の物思いは、結局、「自分が家族を選択しているのだ」という考えに落ち着いたのです。「家族の絆」やさらに言えば「家族の特質」といったものが欠けていたかのように見えて、最終的には、私の家族もまた、私を一つの開かれた可能性へと導いてくれたいたということに気づいたわけです。実際そのとおりでした。私のスピリチュアルな道程は、若いころから始まり、両親の文化的・人道主義的・哲学的な事柄への関心の高まりと共に、そのことが私にも活力を与えていたのでしょう。神学者のマルティン・ブーバーや、実存主義者のジャンポール・サルトルやシモン・デ・ボーボワール、小説家のD.H.ローレンスやジェームス・ジョイスといった人物たちの著作を読みながら、私は成長しました。そして今、私は40歳代。セカンドティアー(第二層)への霊的成長の可能性という道程において、幼い頃に両親が与えてくれた多くの賜物に感謝しつつ、「グリーンへの成長が一つの否定的側面をもつ」ということを理解し始めています。そして、私のスピリチュアルな道程には、ナルシズム、傲慢な個人主義、階級や組織への抵抗といった遺物が、残骸として散らばってもいるのです。


ただ、家族のことに関して言うならば、こういった全ての「グリーン的なるもの」は、実際、祖母から始まったのではないかとも思います。雨の降る肌寒い日、祖母ならばこう言ったでしょう。「ジェシカ、ニクソンみたいな空模様ね。鬱陶しくてたまらないわ。」

次ページ


1 | 2