第33回 フィロソフィア 配布資料

鈴木 規夫

 第33回 フィロソフィア  2011年2月6日(日) 講演


「スピリチュアルな心理学と政治哲学――多様性と自己」

第1部
「多様性」の問題にどう対処するのか?   〜発達心理学の視点から〜

現代は「多様性の時代」といわれます。今日、われわれは、異なる歴史的・宗教的・民族的な背景をもつ人々が共同してつくりあげる複雑な社会の中に生きています。
そのことは、新たな創造の可能性をもたらすと共にまた数多くの課題や問題を生み出しています。日常的なところでは、業務作業上の衝突や軋轢として、また、政治や経済の領域においては、国家間の外交的な緊張として、われわれはそうした現代の試練を経験しています。
とりわけ、積極的に移民政策を推進してきた北米や欧州においては、近年、多様性というイデオロギーを急進的に擁護することが生み出す潜在的な危険に対する認識が徐々に醸成されてきています。無防備な多様性擁護が、ときとして、社会の統一性を溶解させることが認識されはじめているのです。
こうした状況の中で、今日、脚光を浴びているのが、現代思想家のケン・ウイルバー(Ken Wilber)が提唱する「インテグラル理論」(Integral Theory)です。とりわけ、その重要な要素である人間の意識構造の発達論は、これまでに受容されてきた水平的多様性の視点を補完するものとして、非常に貴重な貢献をしています。
今回の発表では、ウィルバーが発達心理学の最新の成果を統合して構築した「人間の心理的発達論」(垂直的多様性)の視点にもとづいて、今日、われわれが直面している諸課題に光をあててみたいと思います。

 

人間の意識の発達とは?

発達心理学によれば、人間の「意識」――「認知能力」(cognitive capacity)「人格構造」(personality structure)――の発達とは、「自己中心性」(self-centricity)が減少する過程であると定義されています。つまり、発達の過程をとおして、われわれは、自己の視点(perspective)を絶対化するのではなく、世界に存在する異なる視点を共感的に考慮・尊重することができるようになるのです。結果として、われわれは、自身の意識に映じる「光景」があくまでも世界を特定の立場から把握したものであることを、そして、他者の意識には、それとは異なる「光景」があることを認識できるようになるのです。
いうまでもなく、複数の視点を考慮することができるようになるということは、世界の複雑性を認識できるようになるということです。世界とは、それを観察するそれぞれの視点に対して微妙に異なる姿を開示するものであり、また、それゆえに、われわれは世界をありのままに把握することはできないということを認識できるようになるのです。それは、「これが世界の真実である」という確信が幻想であることを浮彫りにすることをとおして、「不確実性」(uncertainty)というものが、人間の認識の不可避的な要素であることを示すのです。
その意味では、人間の意識の発達とは、「複雑性」や「不確実性」に対する耐性(resiliency)が成熟していくプロセスであるといえます。たとえば、実存主義心理学(existential psychology)においては、人間の生得的な条件(「宿命」)である「死」に対する受容能力を鍛錬することが「治療」の主要な目的として設定されますが、こうした発想などは、「死」という完全には支配・制御することのできない人間の構造的な条件に対する耐性の獲得を成熟の目安とする発達の視点を体現したものだといえます。

 

秩序形成機能としての意識構造

発達心理学は、段階的に展開していく人間の意識構造の変化について研究することをとおして、そこに作用している法則性を明確にすることを目的とするものです(例:Jean Piaget・Jane Loevinger・Laurence Kohlberg・James Fowler・Robert Kegan・Susanne Cook-Greuter・Abraham Maslow・Clare Graves)。
こうした研究によれば、各発達段階は独自の世界観や価値観を創造するといいます。各発達段階はどくじの仕方で世界を認識・構築(enact)しますが、その結果として、そこには、それにもとづいた「物語」が創造されることになるのです。
こうした物語は、この不確実な世界が何等かの法則や規則(秩序)にもとづいていることをわれわれに実感させてくれます。こうした感覚は、われわれにこの世界が信頼にたる場所であるという基本的な信頼の感覚("faith")をあたえてくれることをとおして、混乱や混沌に陥るのを回避してくれます。
実際、人間は圧倒的な不確実性に曝されるとき、その重圧のもと正気を喪失してしまうものですが、こうした物語は巧みにそうした不確実性を排除・隠蔽することをとおして、われわれの正気を維持してくれるのです。
その意味では、人間の意識の発達について研究をするとは、窮極的には、「この世界において、人間が何を拠所にして正気を維持しているのか」ということを探究するこころみであるといえます。
各発達段階が構築する物語は、われわれの日常に意味をもたらすことをとおして、この混沌とした世界の中で何等かの秩序にもとづいて生きることを可能とします。端的にいえば、発達心理学とは、われわれが、今日、この瞬間、完全な絶望や混乱に陥ることなく、正気を維持して生きることができる理由を探究する学問といえるのです(こうした理由のために、意識構造(エゴ)は、しばしば、秩序形成機能と定義されます)。

価値観の衝突

こうしたことを考慮すると、世界観や価値観というものが、人間にとり、実に重要なものであることが理解できます。それは、単なる「ことば」ではなく、もじどおり、われわれの存在の安定を保証しているものなのです。それが動揺することは、われわれを混沌の真只中(秩序の喪失)に陥れることになるのです。
必然的に、われわれにとり、自らの世界観や価値観を維持することは、至上の課題となります。それはそのまま自己の存在を維持することでもあるのです。
われわれの世界観や価値観に対する直接的・間接的な批判は、われわれの存在基盤そのものに対する攻撃として経験されます。また、異なる世界観や価値観の存在は、暗に自身の信奉する体系の妥当性(絶対性)を動揺させるものとして経験されます。こうした理由のためには、われわれは自己の存在基盤を防衛するために、恒常的に警戒をすることになるのです(脅威はすぐそこに潜在しているのかもしれません!!)。
その規模や性質に関わらず(例:個人間の衝突・組織間の衝突・国家間の衝突)、価値観の衝突が、往々にして、関係者の全存在を巻き込む熾烈なものに嵩じる背景には、こうした心理的なメカニズムが存在するのです。そして、それは、人間が心理的な存在として――自己の「死」(mortality)を恒常的に意識する存在として――構造的に有する特性に起因しているのです。

 

多様性尊重という課題

現代は多様性尊重の時代といわれます。そこでは、異なる世界観や価値観を有する人々が共存する共同体(コミュニティ)を実現することを理想として設定する時代といえます。
こうした理想にもとづいて、とりわけ欧州や北米では、過去数十年のあいだに、多民族国家を志向する積極的な諸政策が推進されてきています。また、日本においても、数多くの進歩的知識人が、それにならい、同様の施策を推進することに邁進しています。
しかし、ここにきて、そうした思潮の盲点が徐々に認識されはじめています。
とりわけ、そうした多様性尊重主義という価値観が、「あらゆる価値観はある特定の時代や社会の中で集合的に信奉される共同幻想に過ぎない(それゆえに、どの価値観も同様に虚構であり、真に信頼にたるものではない)」と主張する極端な「価値相対主義」と結びつくことをとおして、共同体(コミュニティ)の関係者間の連帯(solidarity)を蝕んでいることは、深刻な問題として認識されはじめています。
結局のところ、全ての価値観は恣意的に構築されたものに過ぎないと解釈されるとき、それが要求することになる「自己犠牲」や「自己制御」は拒絶されるべきものとして認識されることになります。結果として、そこでは、各個人、あるいは、各集団が自らの欲求に忠実になることが鼓舞される無秩序状態が生まれることになるのです。
また、真の信頼感覚にもとづいて自己の存在を賭して、その実現に傾倒することのできる価値観を喪失するとき、人間は往々にして自己の生理的な欲求に囚われることになります。生物的存在であるわれわれは、意図的に抽象的な価値観を拒絶することはできても、生理的な衝動や欲求の支配を逃れることはできないのです。むしろ、その暴走を制御する概念体系を奪われることで、それは無軌道に人間を支配するようになります。
こうした状況の中で顕在化している代表的な問題としては、下記のものが挙げられます:

* Flatland(Ken Wilber):これは量的(感覚的・生理的)な領域だけを現実(リアリティ)として見做す「量化の思想」のことです。垂直的な価値観や世界観(質的現実(リアリティ))は、全て恣意的な意図にもとづいて構築されたものであり、それらは真の意味でリアルなものではないと主張するのです。この病理の主義・主張は"The bigger the better"ということばに集約されます。→ 物質主義・拝金主義

* Boomeritis(Ken Wilber):これは自己中心性の肥大化を意味します。高次の価値観を志向して、人格陶冶にとりくむことを忌避したり、嘲笑したりする姿勢として広範に蔓延しています。この病理の主義・主張は"Nobody tells me what to do!!"ということばに集約されます。→ 感覚主義・快楽主義

* 権威主義(Erich Fromm):垂直的な価値観を喪失した結果、人生の意味というものが全て自己の生理的・感覚的な衝動や欲求を充足することに集約されるとき、人間は周囲の同胞との連帯感を喪失することになります。こうした疎外状態において、われわれは、しばしば、失われた関係性を回復するために、衝動的に、非常に無防備な形で強力な存在(「権威的存在」)に自己の存在を放棄してしまうことになります。

 

前後の混同

ケン・ウィルバーによれば、こうした状況の解決を困難にしているのが、「前後の混同」(pre/post confusion)という問題です。
既存の価値体系を絶対化するのではなく、それがあくまでもこれまでの歴史の中で構築されたものであることに留意する認知構造は、比較的に高度の発達段階を基盤とするものだといえます(前記ビジョン・ロジック段階)。しかし、そうした高度の発達段階にある人々により獲得された洞察は、いったん言語化されると、全ての発達段階により利用(横領)(ハイジャック)されえる知識となります。つまり、その洞察は、「全ての伝統的・権威的な価値体系は恣意的に構築された虚構であり、その要求に従属することで、自身の衝動や欲求を抑圧する必要は少しもないのだ」という、徹底した自己中心主義を正当化する言い訳として解釈(歪曲)されてしまうのです。
結果として、これは、人格形成期の初期段階において必要とされる「基本的な秩序感覚」(これは自己の衝動や欲求を制御・昇華するための必須基盤となります)を獲得することを困難にしてしまうことになります。そのために、「相対主義」というもともとは既存の価値体系の過度な呪縛から人々を解放するために構築された価値体系が、その価値体系の影響のもと人格形成をする世代の心理的成長を阻害することにつながるのです。
相対主義を擁護する発達段階にある人々と相対主義を横領(ハイジャック)する発達段階にある人々は、社会の価値体系を批判・拒絶するという意味においては、少なくても表面的には、同じ種類に人間に見えます。ところが、実際には、発達論的には彼等は全く異なる発達段階にある人々なのです。しかし、垂直的な視点(発達論)なしには、そのことは容易に看過されてしまうことになるのです(「前後の混同」)。
こうした状況の中で、今、社会には異なる発達段階の人間が共存していることを認識する垂直的多様性の視点の必要性が認識されはじめています。こうした潮流は、一般的には、それまでの「脱構築主義的ポストモダニズム」(deconstructive postmodernism)と対比して、価値体系の再構築の必要性を説く「再構築主義的ポストモダニズム」(reconstructive postmodernism)と形容されています。
「インテグラル理論・思想」(Integral Theory・Integral Philosophy)といわれるケン・ウィルバーの業績は、こうした現代思想の潮流の中に位置づけられるものです。その意図するところは、「多様性尊重」という価値観を絶対化した20世紀後半の時代的桎梏を超克することだといえるのです。

 

参考資料

ケン・ウィルバー『進化の構造』(春秋社)(Sex, Ecology, Spirituality)
ケン・ウィルバー『万物の歴史』(春秋社)(Brief History of Everything)
ケン・ウィルバー『実践 インテグラル・ライフ』(春秋社)(Integral Life Practice)
鈴木 規夫他『インテグラル理論入門I』(春秋社)
鈴木 規夫他『インテグラル理論入門II』(春秋社)