意識進化の先端:Individualist〜Strategist〜Alchemist〜Ironist 


鈴木 規夫

はじめに

インテグラル思想において、人間意識の各発達段階は、歴史的な進化の過程において、その具体的な形態を確定していくものとしてとらえられる。これまでの人類の意識進化の過程において、その具体的な形態を確定したのは合理性段階までの段階であるといわれ、Vision Logic(VL)段階以降の段階については、まだ、その具体的な形態は確定していないといわれている。しかし、これは、必ずしもそれらの段階が全く探求されていないということではない。実際、今日の人類社会においても、それらの段階にたいする要求は存在しており、そうした生存状況は確実にそうした意識段階の発生を促進している(例:複数の文化をまきこんだ国際的な組織活動――そこでは、複数の文化を調整することだけではなく、複数の文化を内包することのできるあたらしい文化を構築することが要求される)。そうした特異な生存状況を日常的に体験している人々は、人類の集合意識の先駆的探求者として、これからの人類意識の進化の方向性を開拓しているといえるのである。


ここで留意するべきことは、こうしたとりくみは少数の人間による実験的なものであるために、窮極的には、今後の方向性("probability wave")を設定するものにすぎないということである。今後の人類の生存状況の展開のなかで、こうしたとりくみがどのように深化していくのかということは、これからの時代を生きるひとりひとりの主体的な参加のありかたに影響されることになる。また、今日、惑星規模で急速に進行している自然環境の劣化や自然資源の枯渇等、AQALの他領域の動向に影響されることはいうまでもないだろう。


しかし、そうした不確実性を留意することができるなら、同時代に存在する先駆的探求者のこころみは豊富な洞察をもたらしてくれるだろう。ここでは、そうした視野から、この瞬間に集合規模で発生しようとしているVL段階の意識構造について詳細に探求してみたい。


「支援と挑戦」("support & challenge")

VL段階の意識構造を基盤としたリーダーシップのありかたについて探求したAction Inquiry: The Secret of Timely Transforming Leadershipにおいて、著者(Bill Torbert・Susanne Cook-Greuter等)が常に個人と組織を同時にとりあげていることは非常に重要なことである。インテグラル思想において個人と集合は相互関係にあるものとしてとらえられるが、ここでは、とりわけ、集合が個人にとり「支援と挑戦」("support & challenge")を提供する空間(1) として機能するという側面に着目して議論を進めていくことにする。


まず、VLのはじめの2段階(Individualist段階とStrategist段階)の「行動論理」("Action-Logic")について簡潔に紹介する(それぞれの発達段階の構造の詳細については、Susanne Cook-Greuter(2005)を参照していただきたい)。



Individualist段階(4/5)とStrategist段階(5)


Individualist段階においては、自己の主観領域が絶対化され、それを純粋に体験することが個人の関心事となる。ここにおいて、自己は「からだ」(Body)と「こころ」(Mind)の統合体である"Centaur"として確立され、そうした統合された有機体が開示する諸々の洞察が重視されるようになるのである。また、こうした構造の確立を契機として、いわゆる"doing-orientation"(行動志向・将来志向)から"being-orientation"(存在志向・現在志向)への転換がおこることになる。


Individualist段階における自己の主観領域の絶対化は、しばしば、Individualistを社会的な相互関係から離脱・乖離させることなる。日常の役割や責任を放擲することをとおして(または距離を確保することをとおして)、こうして内向化のために必要となる物理的・精神的な空間を確保することにより、Individualistは自己の特異性(uniqueness)を模索することに集中しようとするのである。その背景にある欲求とは、社会的な役割や責任をまっとうするために自己の人生を他者(社会)にあずけるのではなく、むしろ、自己の人生の所有権を回復したいという欲求である。


結果として、Individualist段階に到達するとき、多くの人々は、組織から離脱して、独立した個人事業者として活動を展開することになる。ただ、こうしたIndividualistの内向傾向を尊重して、必要な物理的・精神的な空間を提供することができる場合、組織は、貴重な個性的・創造的な発明を獲得することができることになる。


Individualist段階における自己の主観領域の絶対化は、また、客観的な「事実」や「真実」と形容されるものにたいする先鋭的な懐疑を醸成する。Individualist段階における認識能力は、そうした客観的な「事実」や「真実」と形容されるものが実際には常に諸々の文脈(例:歴史的文脈・社会的文脈)のなかで「構築」されるものであることを認識するのである。結果として、彼らは、常に、ひとつの主張がなされるときに、そこで主張される「事実」や「真実」がある文脈のなかで妥当性をもつ「構築物」にすぎないことを強調しようとする。ここでは、そうした諸々の文脈に規定されたものとしての「事実」や「真実」をとらえなすことをとおして、それらの権威を否定・破壊する能力を所有する存在として自己が確立されるのである。


しばしば観察されるように、こうした自己の主観領域への拘泥は、自己肥大を醸成することをとおして、Individualistsを真の意味での関係性から疎外する可能性を内包している(ただし、こうした関係は、過度の束縛をしないという「相互尊重」の精神に支えられた関係性であるように見える場合もある)。あらゆる外的な束縛を排除しようとするこの段階の典型的姿勢("Nobody tells me what to do")にたいして、近年、インテグラル思想の関係者により批判がくわえられていることは周知のところである。


Individualistsの経験することになる深刻な問題は、存在する複数の文脈のなかで経験される諸々の事象(例:自己・他者・真実・事実)を統合することができず、その多様性のなかで麻痺状態に陥ることである。時として、Individualistsは、瞬間・瞬間が開示する特異性に注意を奪われるために、それらが内包する共通性を見出すことができなくなるのである。Strategist段階のひとつの特徴は、多様性に麻痺することなく、それらを統合することができることである。(2)


こうした統合能力は、また、「意味」や「物語」を構想する能力として発現することになる。Strategistsは、人間の認識行為というものが必然的に「意味」や「物語」の構築をともなうものであることを認識する。確かに、こうした認識はIndividualist段階においても存在するが、しかし、Strategist段階においては、こうした認識は、混沌と麻痺にたいする拘泥としてではなく、むしろ、「意味」や「物語」を意識的・意図的に創造することのできる自律的存在としての自己の「自己決定」("self-determination")と「自己実現」("self-actualization")のこころみとして表現されることになる。つまり、前段階を特長づけていた相対主義的な姿勢は、ここでは意味構築や物語構築にたいする積極的な「とりくみ」("commitment and responsibility")に支えられた姿勢へと変容することになるのである。また、こうした変容は、思考形態のみならず、個人の感情のありかたに明瞭にあらわれることになることについても注意するべきであろう。


Individualist段階では、他者は自己の自律性にたいする脅威をもたらすものとして経験されるために、Individualistsはしばしば濃密な人間関係を忌避することになる。また、成熟した統合機能の欠如は、そうした他者との関係をとおしてひきだされることになるかもしれない自己の側面(「影」)にたいする恐怖を醸成することになる。Individualist段階において、人間関係を回避することは、自己の統合性を維持するうえで、必要となるのである。


Strategist段階では、成熟した統合機能が確立されるために、他者は、自己の自律性にたいする脅威をもたらすものとしてではなく、むしろ、自己理解と自己実現を促進する貴重な存在として経験されることになる。つまり、人間関係は、自己の様々な側面(光と影)をひきだす文脈として認識されることをとおして、知識と知恵の源として経験されるのである。


Strategistsの直面する代表的な問題は、こうして確立された「意味創造者」としての自己が内包する潜在能力(「使命」)を完全に実現できない可能性にたいする恐怖であるといえるだろう。この段階における主要な衝動は、自己実現(self-actualization)と自己充足(self-fulfillment)であるが、こうした関心は、また、他者の成長と充足にたいする関心として顕現することになる。Strategist段階においては、成長とは善なるものとして信奉されるために、結果として、他者による成長の拒絶(意志の欠如)はStrategistsにとり非常に腹立たしいものとして経験される傾向にある。ある意味では、Strategist段階における最大の問題は、こうした種類の非寛容であるということができるだろう。


尚、Strategist(5)段階のあとに、Constructive-Aware/Alchemist(5/6)、そして、Unitive/Ironist(6)段階といわれる段階が存在する。トランスパーソナル段階と形容することのできる段階はこのUnitive/Ironistと形容される段階以降の段階であることに留意されたい。



組織という文脈において


上記のように、IndividualistsとStrategistsは、高度の認識構造を基盤として、合理性段階以降の特徴である客観的な真実や事実の「構築性」(「虚構性」)にたいする認識を獲得する。しかし、そうした認識を基盤として立ちあがる行動論理は、実際には非常に異なるものとなる。


上記のように、合理性段階以降の人格成長の課題は、新しく出現する内面性をどう統合するかということである。ここでは、こうした課題が常に関係性という文脈のなかでとりくまれることになることを考慮したうえで、議論を進めていくことにする。


Individualist段階においては、透徹した洞察能力は、ときとして、「自己」(自己の自律性)にたいする執着を生みだすことをとおして、関係性からの疎外として結実する。今日、国内・国外において展開しているIndividualist段階を基盤とする諸々の形態の組織活動が頓挫している背景には、まさにこの段階特有のこうした問題が存在するのである。


組織というものは、本質的には、組織の構成員の「自己にたいする執着」を組織の共通の目的にむけて昇華する装置である。つまり、それは、個人の自己発見・自己充足――自己の忘却――を可能とする空間("Intersubjective Space")なのである。


しかし、Individualistsは、その構造的な傾向のために、しばしば、こうした組織への参画を「自己の自律性の喪失」として恐怖して、忌避することになる。実際、多くのIndividualistsは、組織に参画しながら、同時に、いかにして自己の自律性を確保するかという課題に執着しつづけることになりがちである。つまり、そこには、組織に自己の存在を賭けるという要素が致命的に欠如しているのである。結果として、Individualistsにより構成される組織は、過酷な状況において、非常に容易に溶解する傾向にある(例:経営が悪化した状況における従業員の流出)。


Individualistsは、組織の構成員としていちおう自己を定義しつつ、同時に、いかにして自己の自律性を確保するかという課題に執着しつづける。結果として、彼らは、常に、参画をすることをとおして犠牲にされることになる(であろう)「自己」を保護することに注意をしつづけることになる。つまり、自己の存在を賭けるという責任をいかに回避するかということに、腐心しつづけるのである。


上記のような混沌と麻痺に拘泥するIndividualistsの行動論理にたいして、「意味」や「物語」を積極的に創造することを志向するStrategistsの行動論理は、組織活動においても特徴的に反映されることになる。そこでは、成熟した統合能力を基盤として成立する意味構築へのとりくみが組織の「核」として確立されるのである。つまり、そこでは、Strategist段階において獲得された多様性の背後に息づく普遍的な価値の認識と信頼のうえに、組織の存在意義がそうした視野から模索されることになるのである。


Bill Torbert and associates(2004)は、Jim Collinsの著作Good to Great: Why Some Companies Make the Leap...and Others Don't(2001)をとりあげて、そこで「偉大」な組織として紹介されている企業組織において機能している発想("level 5 leadership")がまさにこうした段階の行動論理を基盤として成立しているものである可能性を示唆している(p. 115)。ここでは、Collins の前作にあたるBuilt to Last: Successful Habits of Visionary Companies(1994/2002)を参照して、具体的にそうした行動論理を基盤として成立する組織のいくつかの特徴について検討してみたい。こうした作業をとおして、Strategistsと形容されえる人間が具体的にどのような行動をする人間であるかを把握することができるだろう。



組織構築にたいするcommitment


Strategistsは、組織が、特別に優秀な個人の存在に依存することなく、永続的に発展していくことができるために必要となる構造の構築に精力を傾注する人間である。いうまでもなく、組織の生存がそうした特別な人物の能力に依存するとき、組織は必然的に深刻な脆弱性を内包することになる。その特別な人間が組織を去ることになるとき(もしくは、その人間の能力が枯渇するとき)、組織は文字どおりその「核」となる生命力を奪われることになるのである。


Strategistsは、組織の意図するものが普遍的価値を基盤とするものであることを認識している。つまり、それが、世代をこえて、永続的に存在して、世界に貢献をしつづけていくべきものであることが確信されているのである。まさにそれゆえに、組織が普遍的価値の体現として存続していくことができるように、彼らは永続的な組織構造(LR)を構築することに精力を傾注するのである。


こうした姿勢は、自らの個人としての富や名声を獲得することに腐心する合理性段階のものとも、また、観察者としての自己に拘泥するために実際的な行動力を欠如するIndividualist段階のものとも異なる姿勢である。むしろ、それは、あらゆる個人の存在をこえた普遍的価値を謙虚に尊重・信奉することをとおして得られる創造的な態度であるということができるだろう。


こうした発想を基盤とする組織において重視されるのは、ひとつひとつの活動や製品ではなく、むしろ、普遍的価値の体現としての組織そのものなのである。つまり、ひとつひとつの製品を創造するための装置として組織があるのではなく、組織を成長させるための装置としてそれらが存在するのである。魅力的な活動や製品を単発的に生みだすことは、卓抜した個人と戦略があれば可能となる。しかし、普遍的価値の体現としての組織を維持するためには、「核」となる価値を尊重・継承・深化しつづけていく組織構造を構築することが必要となるのである。そして、Strategistsとは、まさにこうしたcommitmentをする人間なのである。彼らにとり、組織こそが窮極的な創造物なのである。


対極性の統合(3)

Collins & Porras(1994/2002)は、Strategist段階の組織が、「対極性の統合」において、非常にすぐれた能力を発揮することを指摘する。具体的な例としては、下記のものが挙げられる。


● 理念と収益の統合


Strategist段階の組織は、組織の窮極的な生命線が普遍的価値の飽くなき体現にあることを認識している。しかし、これは決して普遍的価値(理念)の追求のために収益性を犠牲にするということではない。収益性は組織の生命の基盤となるものであり、それなしには理念の追求はできない。いうまでもなく、それらは統合されるべきものなのである("transcend & include")。


Strategist段階の組織は、組織の窮極的な存在意義として抱擁された理念を掲げるだけでなく、実際に実現することにとりくみつづける。いうまでもなく、重要なことは、理念をもつことではなく、理念を実現することに懸命にとりくみつづけることなのである(とりわけ、企業理念の宣言が「常識」として確立した今日の社会において、こうした実践にたいするcommitmentは、これまでになく必要とされることになる)。 (4)


真に普遍的な理念とは神秘的なものである。それは、この時空間においては、完全には実現することはできないものであるといえるだろう。Strategist段階の組織が、常に、大局的な視野に立ちながら、その飽くなき追求を継続することができるのは、その意識がとらえているものが神秘であるからなのである。



● 保守と革新の統合


上記のような組織の理念にたいする明確な姿勢は、また、それ以外のものにたいする柔軟性をもたらすことになる。つまり、日常のあらゆる活動をとおして、組織の「核」を構成するものにたいして忠実であることへの充分な「支援と挑戦」があたえられることにより、構成員のなかには、確実な実感として、それがいかなることを意味するのかについての理解が醸成されることになる。こうした実感を醸成することをとおして、組織は、構成員のなかに、逆に、「核」ではないものにたいする柔軟性を育むことができるのである。


実務領域における諸々の活動規範は、長い時間の経過のなかでくりかえして踏襲されることをとおして、あたりまえのものとして定着することになる。結果として、それらは、いつのまにか、あたかも「核」を構成するものであるかのように認識されることになるのである。Strategist段階の組織は、「核」となる理念を保持することにたいしては最大の注意をはらうが、しかし、その「表現」である具体的な実践方法については、常に、変革の可能性を意識しながらとりくむことを重視する。


Strategist段階の行動論理が、自己実現という進化の衝動を絶対化するものであることは、組織活動の領域においても先鋭的に表現されることになる。そこでは、この行動論理において絶対化される進化の衝動を実現することが、絶えざる変革を志向する意志として組織の文化に脈々と息づくことになるのである。必然的に――多数の組織が外的な生存状況("Life Conditions")の圧力に対応するかたちで変革にとりくむのにたいして

――Strategist段階の変革はあくまでも内発的なものとなる。「核」でないものは、あらゆるものが検討の対象としてとりあげられ、変革の可能性が模索されるのである。



● 大胆な目標の設定


Strategist段階の組織は、しばしば、大胆な目標("Big Hairy Audacious Goals"・"BHAG")を設定する行動計画を実施する組織である。 (5) こうした行動計画はときとして常識の範囲をこえたものとしてとらえられかねないものである(例:1960年代に合衆国大統領のJohn F. Kennedyにより提唱された宇宙計画)。しかし、また、こうした計画は、関係者の存在をわしづかみにして、彼らに自己の存在を捧げることを決意させるほどの魅力(魔力)をそなえたものでもある。Strategist段階の組織は、こうした目標を設定して、関係者の「命」や「魂」に火を灯すことをとおして、組織の進化を実現しようとするのである。こうした長期的目標の設定――そして、その実現へのとりくみ――も、また、Strategist段階の組織が、特別に優秀な個人の存在への依存という罠を克服するために開発した対応法であるといえるだろう。


ここで留意するべきことは、こうしたcommitmentが可能となるためには、圧倒的な心的エネルギーが必要となることである。ここで、合理性段階以降に達成される人格構造の深化――具体的には、「こころ」と「からだ」の統合体である"Centaur"の確立(Individualist段階)、そして、普遍性への信頼を基盤とした、死の恐怖の減少(Strategist段階)――がそのための前提条件として重要な意味をもつことは確かであろう。また、Strategist段階においては、高度の統合能力の基盤のもと、これまでにないかたちで無意識の統合が可能となるために、創造的活動に投入することのできる心的エネルギーの絶対量が増加することも、こうした大胆な発想を可能とする条件であるといえる。



● 「狂信的」な文化〜帰属と自律の統合


Individualistsは、常に、あらゆる外的な干渉にたいして防衛的であることをとおして、自己の自律性を保護しようとする傾向にある。必然的に、Individualist段階の発想にもとづく組織は、こうした構成員の過敏な自己防衛傾向を刺激することのないように、基本的に要求度の低い文化を構築することになる。


Strategist段階の発想にもとづく組織においては、構成員のあいだに「核」となる理念にたいする明確なcommitmentが存在している。結果として、そこでは、適性をもつ人間と適性をもたない人間が非常に明確に峻別されることになる。窮極的に「核」にたいする「執着」こそが組織の存続の「鍵」となることを認識するStrategist段階の組織において、それを共有することのできない人間にたいして寛容度が非常にひくい文化が意図的に醸成されることは、むしろ、当然のことであるといえよう。つまり、そこでは、二極的発想が積極的に抱擁されるのである(Individualistsは、寛容という理念を強調することをとおして、こうした発想を否定するが、しかし、そうした態度そのものが二極的発想であることに無自覚である)。


この意味では、Strategist段階の発想にもとづく組織には、確かに、「狂信的」("cult-like")な文化が息づいているといえるだろう。しかし、ここで注意するべきことは、こうした文化が、あくまでも、"cult"ではなく、"cult-like"であるということである。そこには、真の意味で狂信的組織において観察されるように、組織があたかも"Individual Holon"のようなものとして構想(錯覚)されて運営されるようなことはない。つまり、そこでは、構成員があたかも組織というsuper-organismの構成要素としてとらえられて、組織の意志に従属する存在としてとらえられることはないのである。むしろ、そこでは、個人に可能なかぎり最大の自律性と主体性を保障しようとする。


実際、Collins & Porras(1994/2002)の調査が証明するように、Strategist段階の組織は、他の組織と比較して、構成員と構成部門の自律性と主体性をさらに尊重する傾向にある。つまり、そこでは、「核」を「狂信的」に共有することが、実際には、日常の業務活動の領域において、いっそうの自由をもたらすことが認識されるのである。ここにおいても、外的な干渉にたいしてあまりに防衛的であるあまり、しばしば、無秩序状態に陥るIndividualist段階の組織との違いが明確に把握できるだろう。



● 実験的精神〜行動と計画の統合


Strategist段階の組織は、恒常的な進化のダイナミズムを組織文化の特徴として確立するために、実験的なこころみにとりくみつづける。窮極的に、あらゆる戦略は、この瞬間の視野から将来を展望するものであり、それがあくまでもまだ生成していない状況にたいする想像であるという意味において、構造的な盲点を内包することになる。将来とは、自己の行動をとおして、その創造に参与する過程のなかで生成するものであり、それは常に神秘的なものとして存在しつづけるのである。


Strategistsは、こうしたことをこころえているために、自己の構築した戦略にとらわれることなく――ただし、それは戦略構築を軽視するということではない(戦略構築能力は合理性段階において確立される重要な能力であり、それを軽視することは「前後の混同」にすぎない)――実験的精神を発揮して、多数の活動にとりくむことをとおして、真の意味で最善のものを獲得しようとするのである。そこでは、失敗とは、将来の積極的創造のためには、むしろ、あたりまえのものとして見なされるのである。(6) また、Strategist段階の組織は、こうした実験的とりくみを構成員に可能とする組織構造を構築することに精力を傾注する(「実験的精神の構造化」)。



● 将来の経営者の組織内育成


Strategist段階の組織は、組織の「核」となる理念が修得されるためには、実際には、長期的な徹底した「教育」("indoctrination")が必要とされることを認識している。とりわけ、そうした理念が人類の普遍的な価値を基盤として発想されている場合、真の意味でそれを修得するためには、個人の全人格的な教育が必要となることをこころえている。なかでも組織の経営者にとり、理念を修得するとは、それを自己の活動に反映させるだけではなく、また、それを組織の活動の隅々に反映させるために必要となる強力な指導力を発揮する責任を負うことを意味する。


窮極的に理念の維持が組織の存続の「鍵」となることを認識しているStrategist段階の組織にとり、将来の経営者の全人格的な教育にとりくむということは、最重要の課題として認識される。必然的に、こうした組織において、「核」の継承のための方法としての「後継者の育成」には、最大の関心と努力がはらわれることになるのである。


ケン・ウィルバー(2006)の指摘するように、組織とは、構成員の相互の共振空間("regnant nexus")として機能する装置である。つまり、組織とは、構成員の相互の対話のありかたを一定の範囲に規定することをとおして、特異な共感を醸成するのである。Strategist段階の組織において、組織の対話空間を組織の理念を基盤としたものとして確立するために、こうした共振空間の構築・維持・深化にたいする最大の責任をになうことになる経営者の全人格的な教育に多大な注意がはらわれるのは当然のことであろう。必然的に、Strategist段階の組織は、外部の経営者を採用することを回避しようとする。



● 継続的な向上にたいする献身


Strategist段階の組織の文化は、継続的な向上にたいする献身に貫かれている文化である。そこでは、構成員は、成長にたいする飽くなき要求を自己につきつけることを自明の責任として包容して、それを徹底した規律にもとづいて果たしていく。また、組織は、そうした姿勢を要求するだけでなく、そうした姿勢を支援する構造を構築する。


ここでの重要概念は「規律」(discipline)である。例えば、インテグラル思想における統合的実践の構想(ITP、または、ILP)に特徴的に反映されるように、Strategist段階において、実践とは徹底した規律のもとに長期的にとりくまれるべきものとして理解される。つまり、実践とは、「ただそのために」("For its own sake")果てしなくとりくまれるべきものとして理解されるのである。


Strategistsにとり、組織に所属するとは、窮極的に、組織の追求する理念にcommitmentすることにほかならない。必然的に、Strategistsにとり、そこでの活動そのものが実践としての意味をもつことになるのである。つまり、Strategistsにとり、commitmentというものは、自己の潜在的可能性を実現するための必須の方法としてとらえられるのである。 (7)


こうした姿勢は、必然的に、Strategistsを人間の構造的な自己保全の衝動にたいして非常に注意深くさせることになる。そこでは、意識状態(「気分」)にたいする過度の依存が内包する危険が明確に意識されることの結果、人間の構造的な自己保全の衝動を克服するために、規律というものが必要となることが認識されるのである。その意味では、Strategist段階の組織は「居心地」のいいものではない。そこでは、自己保全の衝動にたいする執拗な攻撃が展開されるからである。むしろ、そこでは、そうした文化を構築することをとおして、意図的に「居心地」の悪さを醸成しようとするダイナミズムが働くとさえいうことができるのである。その意味では、Strategistsとは、こうした過酷な状況のなかにこそ幸福を見出すことのできる非常に成熟した強靭性(psychological resilience)を備えた人間であるということができるだろう。


  *  *  *


上記は、あくまでも、Strategist段階という行動論理を基盤とする組織の具体的・表層的な特徴にすぎない。従って、それらの基盤にある行動論理の構造について充分に理解することなしには、上記の特徴が必然的なものとして組織により長期的に体現される理由を理解することはできないだろう。その意味では、インテグラル心理学は、非常に有益な視点を提供してくれるということができる。


上述のように、Strategist段階という行動論理は、まだ、人類の集合的構造として確立されたものではない。Collins & Porras(1994/2002)の調査が提供するのは、あくまでも、その先駆的な顕現の事例にすぎず、今後の歴史の展開のなかで、それがどのような深化を遂げることになるのかについては、今後、人々が実際にそれを自己の行動論理として確立・体現するなかで明確化されてくるものなのだろう。今日のStrategistsの課題とは、こうした可能性として開拓されたものを具体的な表現として自己の成長をとおして実現していくことであるといえるだろう。


上記のように、真の意味でVision Logic(VL)と形容しえる意識構造は、Strategist段階においてはじめて構築されるということができるだろう。そうした意識構造は、多様な視野を尊重するのみならず、また、それらを普遍性という文脈のなかでとらえなおすことをとおして、相互の関係性を認識する。こうした統合的な能力を発揮することができるとき、その意識構造は、はじめてVLと形容しえるのである。


また、上記のように、こうした意識構造は、組織活動の領域において、非常に特徴的な行動を展開する。普遍的な価値にたいする信頼を基盤として自己の全存在を活動に投資することのできるその能力は、この意識構造にすぐれた創造性をもたらすことになる。これは、Individualist段階の問題である「自己にたいする執着」("hyper-individualism")(Griffin, 1989)から意識を開放して、Strategistsに共同作業への献身的な参画を可能とすることになるのである。


しかし、あらゆる意識構造がそうであるように、Strategist段階も、また、独自の構造的な問題を内蔵している。敢えていえば、それは、成長という命題を絶対化することが必然的にもたらす自己と他者にたいする「非寛容」といえるだろう。


具体的には、それは、自らの潜在的可能性を完全に実現することができないことにたいする恐怖、または、自らが認識・信奉する普遍的な価値(例:寛容・正義・尊厳)を実際に尊重することができないことにたいする恐怖ということができるだろう。Strategist段階の特徴である「自己成長」・「自己実現」への真摯な取り組みは、時として、こうした恐怖が現実のものとなるとき、Strategistsの内部に深刻な鬱状態を醸成することになる。


また、Strategistsのこうした成長への取り組みは、自己のみならず、他者にたいする関心としても表現されることになる。Strategistsは、しばしば、他者の自己実現の支援にすぐれた能力を発揮する。しかし、こちらの献身的な支援にもかかわらず、成長にたいする抵抗を経験するとき(例:相手が成長にたいする意志を発揮しないとき・相手が効率的に成長することができないとき)、Strategistsは、しばしば、そうした「怠惰」にたいして攻撃的になる傾向がある。自己にたいしてそうであるように、Strategistsは、成長の可能性の拒絶に直面するとき、寛容であることができないのである。


「成長」という命題を絶対化することによりもたらされる自己、そして、他者との緊張関係は、Strategistsにこの意識構造を対象化する契機を提供することになる。(8) そして、Strategist段階におけるこうした構造的な問題と対峙することをとおして、意識深化の過程は、いわゆる「トランスパーソナル」段階へと向かっていくことになるのである。


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