インテグラル理論の可能性 『インテグラル理論入門』の出版に寄せて

鈴木 規夫

「春秋」(2010年12月号)掲載

 

今回、アメリカの現代思想家ケン・ウィルバーの業績を紹介する『インテグラル理論入門』(I & II)を春秋社より出版しました。

このプロジェクトの話をいただいたのは、凡そ2年懸かりで『実践 インテグラル・ライフ』(春秋社)というウィルバーの最新作を翻訳しているときのことでした。編集部の棟高 光生さんにお話をいただいた後、私はすぐに数人の研究者に声を懸けて、共同執筆を提案しました。

ウィルバーの思想は「統合理論」【インテグラル・セオリー】といわれ、そこには実に多様な知の領域が包含されます。それらについてバランスよく説明するためには、異なる視点や感性をもつ複数の執筆者を巻き込むことが重要であるように思われたのです。こうして集うた4人の執筆者により完成されたのが、この入門書です。

1980年代に処女作である『意識のスペクトル』が翻訳・出版されて以降、日本ではウィルバーの著作が世界でも比較的に丹念に紹介されてきました。現在のところ、ウィルバーの著作は30程の言語に翻訳されていますが、そのほとんどを母国語で読める国というのは、世界でも稀であるといえます。

しかし、このことは、必ずしも、日本においてウィルバーの思想が正しく受容されているということではありません。
1995年に出版された『進化の構造』(春秋社)において、ウィルバーの思想がいわゆる「トランスパーソナル思想」という枠組みを超えたものに発展したとき、日本では、海外にはみられない奇妙な状況が生まれました。それまでにウィルバーの作品を熱心に支持していた読者が離れていき、また、新しい読者層を獲得することができないという状況が出現したのです。

ウィルバーの思想に対するこうした態度の変化は、海外のそれとは、正反対のものでした。ウィルバーの思想が海外においてその認知度を飛躍的に高めたのは、『進化の構造』の出版を通してでした。この著作を通して、ウィルバーは、人間の内面領域の研究者としての立場を脱却して、世界【コスモス】そのものを射程に容れたひとりの現代思想家としてのアイデンティティを確立したのです。

実際、海外における反応は目覚しいものでした。『進化の構造』は、出版されたその年にアメリカにおける学術書のベストセラーとなり、また、そこで呈示されたAQAL(All Quadrants, All Levelsの略)といわれるモデルを日常の実務領域に応用する機運が急速に、広範に醸成されていきました。北米や南米や欧州においては、AQALモデルは、心理臨床や能力開発においてだけでなく、企業組織の経営や都市計画の策定、そして、環境保護の推進や行政政策の策定をはじめとする、様々な規模の共同体【コミュニティ】を対象とした実務的な活動を推進するための枠組みとして積極的に利用されはじめています。こうした流れは、とりわけ、2009年に開催されたState of the World Forumで、気候変動の問題に対する対応策を構想するための枠組みとして、インテグラル理論がとりあげられたことにも端的にあらわれています。

このように、今、海外では、ウィルバーのインテグラル理論は、「危機の時代」といわれるこの21世紀において、人類が直面している集合規模の課題や問題に対処するための視座として、その価値をひろく認識されはじめているのです。

しかし、ウィルバーの思想が国外ではメインストリームでの存在感を高めていく中、あたかもそれと反比例するかのように、国内ではウィルバーの思想は徐々に忘れられていくことになりました。その結果、「第5期」(Wilber-Five)といわれる近年における理論的な展開の詳細は紹介されないままになりました。また、ウィルバーが統括するインテグラル研究所を中心として、今、世界中に展開されている研究組織や実務組織による多様な活動の様子が、全く伝えられないという残念な状況が生まれてしまいました(第1巻にまえがきを寄稿してくれたショーン・ハーゲンス博士は、ジョン・F・ケネディ大学のインテグラル理論学部の統括者です)。

今回上梓した『インテグラル理論入門』は、そうした近年の動向について紹介することを通して、現代思想としてインテグラル理論が脚光を浴びている理由を明らかにすることを意図して執筆されました。
それにしても、近年におけるインテグラル理論の受容のされかたは、国内と国外とで、どうしてこれほどまでに異なるのでしょうか? そこには様々な理由がありますが、そのひとつとして、「多様性」(diversity)という現実を歴史的にどう体験してきたのかということに関する彼我の差があるように思われます。

インターネットの出現以降、私たちをとりまく情報の量は飛躍的に増えました。とりわけ、実質的に人類の「公用語」としての地位を確立した英語の文化空間においては、そのことは非常に顕著です。必然的に、こうした状況の中で私たちが直面する課題とは、情報の不足ではなく、氾濫する情報にどう対処するのかということになります。
情報の流通網の充実は、多様な感性や視点にもとづいた情報の流通を可能とすることになります。しかし、そのことは、同時に、それらを効果的・効率的に咀嚼して、日常の生活の中に適用していくための能力を鍛錬することを一人ひとりに要求することになります。

こうした課題に対処していくことは、とりわけ、組織の経営や政策の策定をはじめとする、高度の不確実性と常に対峙することを強いられる、数多くの実務者や研究者には、正に最重要の懸案となります。多様な感性や思惑や欲求を抱いた関係者が入り乱れて、恒常的な混沌状態が生み出される実務の現場においては、多様な視点の存在は、ときとして判断や行動を麻痺させることになりかねないのです。そこでは、それらを単に尊重するだけではなく、それらの相対的な重要性を見極めて、そこに優先順位を付けるための鳥瞰的な視座が必要となるのです。端的にいえば、21世紀の現実は、すでに「多様性」というものが無防備に賛美されるべきものではなく、共同体【コミュニティ】を極度の混乱に陥れかねない深刻な問題であることを明らかにしはじめているといえるのです。
そのとき、私たちが必要とするのは、そうした多様性の深層に存在する普遍的な次元を洞察するための鑑識眼です。表層的な多様性の水面下で作用している諸々の要因――これを見極めることが重要となるのです。そして、今、数多くの事務者がインテグラル理論を積極的に活用しているのは、そうした喫緊の課題に対する有効な対応策を呈示しているからなのです。

残念ながら、多様性尊重という価値観が内包する「怖さ」を私たち日本人はまだ十分に認識することができていないようです。むしろ、社会の指導者層全体が、そうした価値観を純朴に信仰して、それを共同体【コミュニティ】の制度に反映していこうと躍起になっているように思えます。

人間世界の衝突や軋轢は、それぞれの関係者が相互の立場を正当なものとして尊重することを通して、解決することができる――そうした空想的な発想が無謬の真実として信仰されているのです。しかし、そうした発想が、しばしば、相手の悪意や横暴を間接的に擁護することになり、結果として、悲惨な状況をもたらすことになるのは、歴史的にはナチス・ドイツの台頭に、また、先日の尖閣諸島問題でも明確に露呈したところです。

「多様性尊重」というイデオロギーが世界の複雑性と凶暴性に対する真に効果的な対応策を講じるための基盤となりえないことが、とりわけ「冷戦」の終焉後、急速に明瞭になりはじめています。そして、そのことは、先進国の指導者層にとり、正に共同体の存亡に関わる問題として認識されはじめているのです。

その意味では、ウィルバーをはじめとするインテグラル・コミュニティの関係者が呈示している構想【ビジョン】とは、これまで世界に安定をもたらしてきた秩序が急速に溶解しはじめているなかで、新たな秩序を構築するための方法論を呈示するこころみといえるかもしれません。そして、正にその意味において、それは21世紀の生存術としての意味をもつ思想といえるのです。
21世紀において、私たちは、気候変動や資源枯渇をはじめとする惑星規模の問題と直面することを強いられています。エコロジーは、生態系の状態が劣化するとき、そこでは不可避的に残存資源をめぐる熾烈な争奪戦が惹き起こされることを指摘しています。そうした危機的な条件下において、私たちは新たな生存の叡智を確立することを求められることになります。

こうした時代的な課題をつきつけられながら、私たちは、あらためて人類が歴史的に継承してきた諸々の叡智を統合することの重要性を認識しはじめています。そこで意図される統合とは、単なる学究的な興味にもとづいたものではなく、この危機の時代を生き延びようという非常に実践的な意図にもとづいたものです。そして、それゆえに、そうしたとりくみは、この世界の「ままならなさ」を直視するものであることを求められます。それは、常に「今」「ここ」で有効に機能するものであることを求められるのです。
インテグラル・ムーブメントは、そうした同時代の要請に応えるために、今、数多くの研究者と実務者をまきこみながら展開しているひとつの思想運動といえます。今回出版する『インテグラル理論入門』が、そんなインテグラル理論の意義を少しでも読者の方々に御伝えできるものであることを執筆者のひとりとして祈念しています。