ケン・ウィルバー紹介  〜インテグラル思想入門〜 

鈴木 規夫

[目次]

略歴
思想
「意識のスペクトラム」(Spectrum of Consciousness)(Wilber-I)
前・後の混同(Pre/Post Fallacy)(Wilber-II)
発達の領域(Lines of Development)(Wilber-III)
インテグラル・ヴィジョン(Wilber-IV〜Wilber-V)
理論と実践
参考文献
脚注


略歴

ケン・ウィルバー(Kenneth Earl Wilber Junior)は、1949年1月31日、アメリカ合衆国のオクラホマ州に生まれた。合衆国空軍に在籍していた父親の頻繁な配置転換にともない、幼児期は国内を転々とした(転居先には、バミューダ・エルパソ・テキサス・アイダホ・グレイトフォールズ・モンタナが含まれる)。ウィルバーは、当時を回想して、頻繁な転居が苦痛であったこと、そして、そうした経験のなかで物事に執着しない態度を習得したことを述懐している。いずれにしても、この時期からウィルバーは、勉強において非常に優秀な成績をおさめ、数々の賞を受賞していた。また、当時から非常に社交的な性格で、運動や自治活動等、課外活動にも積極的に取り組んでいたという。


高校生活をネブラスカ州のリンカーンで終了後、1968年にウィルバーはDuke Universityの医学部に進学する。しかし、ウィルバーは、進学後、すぐに「老子」(Tao Te Ching)と出逢い、それまでに自己を支えてきた現代科学を核とする思想的基盤を根本的に揺さぶられる深刻な精神的危機を経験することになる。こうした危機のなか、ウィルバーはDuke Universityを退学し、ネブラスカにもどり、University of Nebraskaに再入学する。この頃、ウィルバーは、化学と生物学を専攻しながら、同時に、東西の哲学書を貪るように読破し、また、瞑想等の実践に集中的に取り組むようになったという。その後、ウィルバーは、生物化学の専攻生として大学院に進学するが、その頃すでに哲学的思索と修行の実践に自己の重心を移行していたウィルバーは、学位の取得を目前に退学をすることになる。


退学後、ウィルバーは、家庭教師や皿洗いをはじめとする諸々のアルバイトをして生計を立てながら、思索と修行と執筆の生活に従事する(1972年には、家庭教師の生徒のひとりであったAmy Wagnerと結婚をする。この結婚は、1981年まで続くことになる)。また、この頃、ウィルバーは、自らの文章技術を磨くために、著名な東洋思想研究者であるAlan Wattsの全著作をノートに書きうつしたという。


ウィルバーの執筆作業は、普通、まず10月間ほど資料を読みこむ作業をすることからはじまるという。そして、あるとき(「ある朝、目覚めると」)、自らのなかに作品が完全なかたちで完成していることに気づくのだという。それからの数月間は、この「作品」を文字として書きとめていく作業に没頭することになる。今日まで継続するウィルバーの旺盛な創造活動は、基本的に、常にこうした過程をとおして展開しているということだが、それはこの時期に著者のなかで確立されたものである。


1973年、ウィルバーは『意識のスペクトル』(The Spectrum of Consciousness)を完成する。この作品は、20以上の出版社に断られた後、1977年にQuest Booksより出版される。この作品は非常に評価され、ウィルバーは瞬く間に意識研究における新しいパイオニアとして認識されることになる。この成功を契機として、ウィルバーのもとには多数の教職の招待が舞いこむようになる。ウィルバーは、こうしたリクエストにこたえて、短期的にレクチャーやワークショップの提供を中心とした教育活動に従事することになる。しかし、教育活動の喜びを満喫しながらも、ウィルバーは、間もなく執筆生活に自らの活動を集中することを決意する。この決断について、ウィルバーはこう述懐する。


それは今という時間をどう活用するかについての決断ということできるものでした。この瞬間に、わたしは、過去に書きあげたものについて説明をすることもできますし、また、新しいものを生みだすこともできます。それは、これらのうちどちらを選択するかということでした。


1978年、ウィルバーは、Jack Crittendenと協力して、雑誌ReVisionを創刊する。1979年には、『意識のスペクトル』(The Spectrum of Consciousness)の「要約」である『無境界』(No Boundary)を出版。その数年後には、ウィルバーの理論体系の新段階の到来を告げる『アートマン・プロジェクト』(The Atman Project)(1980年)と『エデンより』(Up from Eden)(1981年)を発表する。また、この頃、ReVision編集の作業に集中するために、マサチューセッツ州ケンブリッジに移動する。


1983年、ウィルバーはカリフォルニア州マリン郡に移動する。間もなくして、ウィルバーはRoger WalshとFrancis Vaughanの紹介でTerry (Treya) Killamと出逢い、結婚する。しかし、結婚の数日後、Treyaは乳癌と診断され、1984年から1987年まで、ウィルバーは、執筆活動をほぼ完全に停止して、彼女の看病に集中することになる。後日、ウィルバーは、この過酷な状況のなかで、自らが一時的に瞑想の実践を放棄し、アルコールに依存するようになったことを報告している。また、1985年、療養生活のために夫婦で訪問したネバダ州レイク・タホで、ウィルバーは、汚染物質流出のためにひきおこされた疾病(RNase)に罹患する(ウィルバーは、今日も、この慢性疾患との闘病生活を続けている)。1987年、夫婦はコロラド州ボウルダーに移動し、1989年のTreyaの死まで、比較的な平穏のなかで時間を過ごすことになる。ウィルバーは、Treyaの遺した日記を織り交ぜながら、ふたりの出逢いから離別までを著作『グレース・アンド・グリット』(Grace and Grit)(1991)にまとめている。


数年間の喪に服した後、1993年に、ウィルバーは10年ぶりの理論書を完成させる(出版は1995年)。それが、今日、ウィルバーの代表作として認知されている『進化の構造』(Sex, Ecology, Spirituality)である(この作品のまえに発表した最後の理論書はTransformations of Consciousness)。この作品について、著者は、「自らの最初の成熟した作品」("my first mature work")と形容しており、現在、構想されている「コスモス三部作」(Kosmos Trilogy)の第一部を構成する作品であるという。


1996年には『進化の構造』の「要約」として『万物の歴史』(A Brief History of Everything)を、そして、1997年には『進化の構造』について投げかけられた批判に応答することを目的として執筆された論文をまとめた『統合心理学への道』(The Eye of Spirit)を発表した。また、1998年には、Random Houseより、『科学と宗教の統合』(The Marriage of Sense and Soul)を発表している。


1997年、ウィルバーは、日々の哲学的考察を日記形式でまとめて、これを1999年に『ワン・テイスト』(One Taste)として出版している。この作品で、ウィルバーは、自らの理論家としての側面のみならず、実践家としての側面を強調している。その後、1999年には Integral Psychology を、2000年には『万物の理論』(A Theory of Everything)を、そして、2002年には初めての小説作品である Boomeritis を発表している。ウィルバーは、この時期をそれまでの執筆生活において最も生産的な時期であると回顧している(また、この時期、Shambhala Publicationsは、ウィルバーの全著作を編纂した集成の刊行を開始している――現在(2006年4月)、8巻が刊行済み)。


私生活の領域では、1997年にボウルダーにあるNaropa Instituteの修士課程に在籍していたMarci Waltersと交際をはじめ、2001年に結婚をしている(2002年に離婚)。近年は、コロラド州デンバーに移動して、著述活動、そして、自らの主催するIntegral InstituteやIntegral Universityの運営活動に取り組んでいる。


思想


「意識のスペクトラム」(Spectrum of Consciousness)(Wilber-I)


ウィルバーの思想活動の基盤にある根本的な発想は、次のように説明することができるだろう。

世界に存在するあらゆる視点は必ずある真実を内包する。従って、必要とされるのは、存在する多数の視点のうち、どれを最も正しいものとして選択するかということではなく、それぞれの視点が内包する真実を認識・尊重したうえで、それらがどのように相互に関係しているかを理解することである。


こうした発想は、ウィルバーが、自らの自己探求の過程において、多様な技法を経験するうちに直面した事実に対する素朴な疑問を基盤としている。それは、いずれの自己探求の視点も非常に重要な洞察をもたらしてくれるものでありながら、それぞれは、自らが最も正当なものであることを主張して、相互に争いをしているという事実に対する疑問――それぞれの存在価値を認識・尊重したうえで、それらの共存を許容する方法はないのだろうかという疑問ということができるだろう。


人間は世界そのものを体験することはできない。人間は、(内的・外的)世界を体験する際、世界を体験するという行為そのものをとおして、不可避的に世界の「創造」に参画することになる。その意味で、存在するあらゆる視点は、それぞれの世界を構築する創造の装置ということのできるものである。しかし、それぞれの創造行為は、また、独特の方法で世界を照明するとともに、同時に、独特の方法で世界を覆い隠してしまう。その意味で、あらゆる視点は構造的に盲点を内包するのである。


こうした事実に着目したウィルバーは、それぞれの視点が相補的に存在することを可能とするための枠組の構想に取り組むことになる。今日、広範に認知されている「意識のスペクトラム」(Spectrum of Consciousness)理論とは、日々の思索と修行の実践のなかで、こうした要求に応えるために創造されたのである。[1] その概要は下記のように説明することができるだろう。


人間の意識は、複数の階層により構成されており、人間の成長はこれらの階層を段階的に通過することをとおして実現される。そして、この段階的成長の過程は、人間の生得的な自己中心性の克服の過程としてとらえることのできるものである。そして、古今東西の自己探求の方法は、この成長過程の各段階において経験される諸々の課題・問題を解決するための触媒(catalyst)として機能するのである。こうした成長段階は、大別して3 (4) つの段階に分類することができるという。

  1. プリパーソナル(pre-personal):生物としての基盤となる肉体的衝動の充足を行動論理とする段階。この段階において、人間は、生命体として生存するために必要となる基礎的な自己認識を確立する。世界とは峻別された存在――それゆえに世界の脅威に対して脆弱な存在――としての自己を認識し、それを防衛・維持することを最高の関心事とする。この段階における課題・問題を解決するための有効な方法としては、例えば、認知行動療法があげられる。これは、人格の基盤となる基礎的構造を構築することを主眼とするものである。
  2. 前期パーソナル(personal):共同体の言語・規範を習得して、共同体の構成員としての自己を確立することを行動論理とする段階。共同体において共有されている普遍的な規範を内面化することをとおして、自己の肉体的衝動の呪縛を克服することがこの成長段階における重要な課題となる。この段階における成長課題は、内面化された共同体の規範を徐々に対象化する能力を涵養することである。これにより、自己を規範と完全に同一化するのではなく、それらとの関係性(自由)を確保することができるようになるのである。こうした成長課題を解決するための有効な方法としては、例えば、共同体の規範を内面化する過程において発生した抑圧・分裂等の内的な歪(ひずみ)を解決することを目的とする精神分析療法があげられる。
  3. 後期パーソナル(personal):内面化された諸々の共同体の規範・信念等を対象化して、自己の独自の価値体系にもとづいて、それらをあらためて構成しなおす段階。自己の所属する共同体の期待に盲目的に応えるのではなく、それらをさらに包括的な視野(世界中心的視野)から検討したうえで、自己の責任(response-ability)にもとづいて自律的な行動をすることができる。この段階におけるこうした成長課題を解決するための方法としては、例えば、実存主義療法があげられる。これは、個人としての自己の存在を定義する諸々の構造的限定条件(例:死)を認識・抱擁したうえで、それらの条件の範囲内で自己の人生を充実させるための「思想」を構築・実践する能力の涵養を援助する。
  4. トランスパーソナル(transpersonal・postpersonal):自己感覚(self-sense)を個人の領域から霊性の領域へと拡張をする段階。自己の存在基盤を時空間に存在する個人としての存在から字空間を内包(観想)する「目撃者」(Soul・Spirit)へと移行する段階。この段階における成長課題を解決するための方法としては、例えば、瞑想に代表される、東洋宗教により開発された意識変容の方法があげられる。こうした方法は、時空間に存在する個人としての自己の成熟ではなく、自己(identity)の基盤をそうした個人としての自己をあらしめる背景(Soul・Spirit)へと移行することを目的とする。

(人間の意識段階を上記のように3 (4) つに分類するのは、あくまでも便宜的なものであり、必ずしも、この数字にこだわる必要はない。こうした階層構造というのは、虹のようなものであり、その層数は、識別する視点により、多様なものとなる。実際、ウィルバーは、著作のなかで、必要に応じて、各階層をさらに詳細に峻別して説明をしている。各段階において個人が直面する課題・問題とそれらに適応した対応方法についての詳細な説明は、Transformations of Consciousnessの所収論文を参照していただきたい。)


ここで留意するべきことは、多数の発達心理学者が指摘するように、こうした成長段階というものが、非常に流動的なものであるということである。個人の成長段階とは、あくまでも重心(“Center of Gravity”)にすぎず、それは、個人の生存状況との関係性のなかで常に変動しつづけているものである。また、個人の内的領域について把握するうえで、段階(“stages”)のみならず、状態(“states”)・領域(“streams”)・スタイル(“styles”)等の要素にも着目することが重要になる。その意味では、こうした段階的な発達理論がインテグラル思想の人間観の「核」を構成するものであると見なすことは、深刻な誤謬を犯すことになるといえるだろう。


重要なことは、ウィルバーの思想活動を貫く「統合の衝動」が、その基本において、人間の認識能力というものが構造的に盲点を内包することの認識にもとづき、それを可能な限り克服することを志向して展開するものであるということを認識することであろう。そうした問題意識は、ウィルバーの思想活動の最初の理論体系である「意識のスペクトラム」にも刻印されているのである。



前・後の混同(Pre/Post Fallacy)(Wilber-II)


「前・後の混同」(“Pre/Post Fallacy”)とは、実際には非常に異なる2つの成長段階をある共通項の存在を理由に短絡的に混同することを意味する。


『アートマン・プロジェクト』(The Atman Project)と『エデンより』(Up from Eden)(これらは、ひとつの作品として構想された)の執筆中、ウィルバーは、深刻な思想的危機を経験する。これは、『意識のスペクトル』(The Spectrum of Consciousness)において展開されたモデルが内包していた問題が、これらの作品の執筆過程のなかで朧気に認識されはじめたことに起因するものであるという。


『意識のスペクトル』において、ウィルバーは、人間の意識成長の過程を次のように描写した。

誕生の瞬間において、人間は、「堕落」(the Fall)を経験するまえの「至福」の状態にある。しかし、成長の過程のなかで、人間は、徐々に、こうした「至福」の状態から苦悩に満たされた状態へと「堕落」していく。それは、誕生の瞬間に存在していた霊とのつながりを喪失することなのである。意識の成長とは、こうして「堕落」をとおして「喪失」された霊(Spirit)とのつながりを恢復する過程なのである。


しかし、『アートマン・プロジェクト』と『エデンより』の執筆中、ウィルバーは、こうした認識が「堕落」というものについての、誤解を内包していたことを認識する。この誤解について、ウィルバー(1983/2005)は、後日、次のように総括している。


『意識のスペクトル』が内包していた問題とは、2種類の「堕落」(the Fall)――「存在論的堕落」(“metaphysical fall”)と「心理的堕落」(“psychological fall”)――の混同と形容できるものである。「存在論的堕落」とは、霊との意識的な同一感覚の喪失、そして、それにもとづく「罪」(疎外・別離・二元性・有限性)の世界への埋没である。そして、「心理的堕落」とは、自らがそうした堕落した状況にあることの内省的な認識である。


霊とは、この現象世界の基盤であり、あらゆる存在は一瞬たりともそれと疎外された状態で存在することはできない。つまり、この現象世界のあらゆる存在は、常に完全なかたちで霊と結びついており、また、霊の顕現として存在しているのである。したがって、人間の直面する問題は、霊との結びつきをいかにして確立するかということではなく、むしろ、霊との結びつきが確立されていることをいかにして認識するかということなのである。


人間は、成長過程において、内省能力が成熟してくると、自らが「罪」の世界に生きていることを認識するようになる。内省能力の成熟がもたらすこうした認識は、不可避的に、精神的な苦悩を醸成することになる。そして、そうした苦悩は――もしそれを抑圧することなく対峙することができるならば――われわれを自らを救済するための積極的な取り組みへと突き動かすことになる。ウィルバーは、こうした成熟した内省能力の確立を契機としてもたらされる精神的な転換を「外的方向性」(“Outward Arc”)から「内的方向性」(“Inward Arc”)への転換と形容するが、それは、人間の人格成長がより高度の成熟段階であるトランスパーソナル段階へと向かうことができるために必要とされるものなのである。つまり、「存在論的堕落」の解決の可能性は、世界に存在することが構造的に内包する問題(「罪」)と対峙することが醸成するこうした苦悩の経験――「心理的堕落」――をとおしてもたらされるのである。


人間は、世界に誕生することそのものをとおして、「存在論的堕落」を経験している。その意味で、すべての人間は生まれながらにして「地獄」(“Hell”)に存在しているのである。しかし、自らが「地獄」に存在していることを認識することができるためには、そうした認識を可能とする内省能力を構築する必要がある。そうした能力が構築されるまでは、人間は、「存在論的堕落」という自らの状況そのものを把握することができず、結果として、「無意識的地獄」(“Unconscious Hell”)を生きることになる。


そうした自己内省力を欠如した状態にある人間の姿は、傍目には平穏に見えるかもしれない。しかし、実際には、その自覚が欠如しているだけで、当人の存在は「罪」に特徴づけられている。内省力の欠如は、内的な平穏という外観をあたえはするが、実際には、彼らの存在は、自らの存在論的状況に自覚的である人間と同様、「罪」に起因する諸々の執着により特徴づけられているのである。むしろ、自らが救済を必要としていることを認識することができていないという意味では、「天国」(“Heaven”)と最も乖離したところにいる状態ということができるだろう。真の救済のために必要とされるのは、そうした虚偽の平穏状態に留まることではなく、自らが救済を必要とすることを自覚することなのである。そして、これは、いわば、「無意識的地獄」を脱却して「意識的地獄」(“Conscious Hell”)へ前進していく行為ということのできるものである。こうした成長をとおして、人間は、はじめて「意識的天国」(“Conscious Heaven”)に到達するための可能性を生みだすことができるのである。


意識成長の過程をとおして内省能力が確立されてくれば、結果として、人々は、「意識的地獄」のなかで、苦悩と苦闘しながら日常を暮らすことになる。そうした状況に置かれた人間の視点には、しばしば、自己を執拗に苦悶させる苦悩から「解放」されることが、救済の証左として意識されるようになる。実際には、そうした苦悩は、「無意識的地獄」から「意識的地獄」への移行という非常に重要な意識深化の過程を経て獲得したものであるにもかかわらず、そのあまりの重圧のために、苦悩の存在しないことそのものが救済であると思いこんでしまうのである。こうした精神状態において、「無意識的地獄」と「意識的天国」とが――「意識的地獄」を特徴づける苦悩に煩わされていないと意味において――どちらもあたかも同じものであるように思われてくるのは自然なことであるといえるだろう。「前・後の混同」(“Pre/Post Fallacy”)とは、このように実際には非常に異なる成長段階をある共通項の存在を理由に短絡的に混同することを意味する。そして、ウィルバーが説明するように、『意識のスペクトル』は、まさに、こうした混同を犯していたのである。


普通、こうした混同は、結果として、2つの混乱を生みだすことになる。ひとつは、高度の成長段階(例:トランスパーソナル段階)を低度の成長段階(例:プリパーソナル段階)として誤解すること(“Reductionism”)。そして、もうひとつは、低度の成長段階(例:プリパーソナル段階)を高度の成長段階(例:トランスパーソナル段階)として誤解すること(“Elevationism”)である。前者の典型的な例としては、高度の宗教的体験を病的な退行体験として解釈するものがあげられる。そして、後者の典型的な例としては、幼児的な体験を高度の宗教的体験として解釈するものがあげられる。


いうまでもなく、こうした理論的な混同は、実践的な混乱をもたらすことになる。例えば、前者の場合、突発的・瞬間的に経験された宗教体験を構造的な意1識変容の過程を促進することをとおして統合することが重要になるときに、それを病的な退行体験として誤解することにより、薬物投与等の不適切な介入がなされることになる。また、後者の場合、人格構造が脆弱であるために発生した病的体験を高度の宗教体験として誤解することにより、そうした状況において必要となる人格構造の補強を志向する介入方法ではなく、瞑想等の人格構造を対象化する介入方法が実践されることになる。これらの実践的な混乱は、臨床現場においては、時としてクライアントのなかに深刻な「傷」を生みだすことになる危険性を孕むものである。


ウィルバーの報告によれば、これまでの執筆活動において、こうした枠組は、普通、瞬間的な霊感のなかにもたらされるという。例えば、この「意識のスペクトラム」理論の場合、集中的な瞑想体験の最中に経験した、この惑星における生命の歴史をその主体として追体験するような体験のなかにもたらされた洞察を理論化したものであるという(こうした体験は集中的な瞑想体験においては必ずしも珍しいものではない)。

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