ケン・ウィルバーについて

与那城 務

2000年のアメリカ合州国大統領選挙期間中、アルバート・ゴア民主党候補の愛読する著者としてケン・ウィルバーがニューヨーク・タイムズ紙に紹介された際、「ディーパック・チョプラを師と仰ぐアメリカを代表する思想家」と記述されたそうです。しかしその数日後、チョプラからニューヨーク・タイムズ紙に手紙が届き、次のような訂正依頼をしたそうです――「彼が私を師と仰ぐのではなく、私がケン・ウィルバーを師と仰いでいるのです。」

ディーパック・チョプラといえば、ホリスティック・オルタナティブ医療等の著作からスピリチュアル関係の著作まで出版され、CNN等のインタビューを受けるなど、一般によく知られています。ホリスティック・オルタナティブ医療やスピリチュアル関係の執筆にしても、極端に走らないバランス感覚がメインストリームから受け入れられている理由なのでしょう。また、彼の最近の著作に見られるホラーキカルな捉え方は、そうしたバランス感覚とともにウィルバーからの影響が散見されます。

このようにウィルバーから大きな影響を受けている現代の思想家は非常に多いようです。ウィルバーの著作は、その膨大な量や難解さにもかかわらず、これほど多く世界中の言語に翻訳され、しかも、これほど多くの一般読者・専門的読者の双方に読まれているアメリカ人思想家はいまだかつていなかったと言われています。また、若干50代において自身の著作集を出版し得た(しかもそれは膨大な量に及び、現在も継続して増えつつある)思想家は、現代では極めて珍しいことであると言われています。ウィルバーがその膨大な著作集の中で展開している壮大な理論体系は、難解であるにもかかわらず、圧倒的な説得力を持って読者に迫ってきます。ウィルバーが宗教・哲学・心理学等の分野で言及する守備範囲は非常に広く深く、しかも同時に、それらを見事な説得力と明快さによって読者の前に提示してくれます。そのため、ウィルバーの著作を読むことで、読者は「知識や知恵の深い森に迷った際に強力な道案内を得たような気分」になります。

「ウィルバーを読むと賢くなった気がする」という言い方があります。これは、「道案内や地図を入手した者が全体像を見渡すことによって感じる気分」にも似たものです。もちろん、これは賢くなった“気がする”だけであって、読んだだけで読者に何か大きなトンラスフォーメーションが起り得るというわけではありません。しかし、ウィルバーは読者にそうした道案内や地図を提示してくれると同時に、あるいはそれ以上に、「読者である私たちの使命は、知識と知恵の深い森の中、成長という道を歩んでいくことだ」ということも教えてくれます。ですから、「ウィルバーを読むと元気が出る」という言い方もあります。彼が提示する進化的・統合的な捉え方は、究極的には、読者に「生きる勇気と意義」を与えてくれるものなのです。

ウィルバーは、なぜそのような著作をなすことができたのでしょうか。もちろん、彼自身の天賦によるところも大きいわけですが、彼の半生を振り返ることで彼の独自性を垣間見ることができると思います。ここでは概略に触れながら説明していきます。

ケン・ウィルバー(Ken Wilber)は、1970年代にネブラスカ大学で生化学を専攻し主席卒業の後、さらに大学院まで進んでいます。しかしながら、突然(これは多くの真摯な若者には共通することかもしれませんが)「人生の根本的な問いを追求する」という衝動に駆られ、大学院も辞め、一種の「求道生活」へと入ります。昼間は皿洗いをしながら最低限の生活費を稼ぎ、残りの時間は読書と思索と執筆に没頭します。またこの時期には、禅の修業も行い、見性にも至っています。こうして、古今東洋西洋を網羅する宗教・哲学・心理学に関する膨大な書物を読み漁り、若き日の思索生活は、処女作である『意識のスペクトル』(原題:The Spectrum of Consciousness)において結実します。

『意識のスペクトル』の論旨展開は、当時としては非常に斬新な試みでした。様々な心理学の諸説や哲学的・宗教的な認識のあり方を、「スペクトル」という一種の階層によって統合的に提示し、それぞれの相関関係を考察したのです。通常、学術的なアプローチでは、領域や理論を限定した上で論文を書くので、このようなかたちで考察が提示されなかったという理由もありますが、彼の試みは、一種の新鮮な驚きと歓迎をもって迎えられました。また、論旨展開からもお分かりのように、この処女作の段階から、「統合的な提示」という「インテグラル・アプローチへの萌芽」が含まれていたことにも気づかされます。

なお、ウィルバー自身は、宗教学や哲学や心理学の学位を修めたわけではないので(専攻は生化学)、この領域で処女作の出版にこぎつけるまでには苦労したようです。一説には、ヒューストン・スミスの指導も受け、彼の推薦により出版が可能になったという話もあります。むろん、この処女作の出版は、当時、センセーションを巻き起こし、「彗星のごとく現われたケン・ウィルバー」は、まさしく「皿洗いの思想家」として注目の的となりました。特にトンラスパーソナル心理学界からの賛辞は大きく、次々と著作を発表していく中で、「心理学界のアインシュタイン」とさえ呼ばれるようになりました。

こうした評価を受けて、幾つかの大学からも招かれたようですが、ウィルバーはいずれも固辞したそうです。主な理由には、「自分の著作は、読書と思索と執筆と生活のありかたそのものとが一体となって初めて可能になる」という自覚が彼自身の中にもあったからでしょう。ウィルバー自身、「講義や指導よりも、執筆こそが私の優先順位であった」と語っています。著作が売れて、もはや「皿洗い」をする必要なくなったときにも、「こうした生活こそが土台になければならない」と明確に意識していたのかもしれません。

大学の職を固辞し、執筆生活に没頭したこともあり、その後も、ウィルバーは、次々と斬新な著作を出版していきます。そして、ここで注目すべきは、彼自身も、「著作活動によって、自分の理論的な立場等を自己批判的に(超えて含むかたちで)乗り越えていっている」という点です。自分の立場に何かと固執しがちな他の思想家にくらべて、こうした彼の思想的展開は特筆すべき点です。そうした自身の思想的な克服は、段階を経て、「ウィルバー1」から始まり、現在は「ウィルバー5」までに至っています。詳細は別途ご覧いただくとして、大まかにいえば、ユング的・ロマン主義的な立場から、トンラスパーソナルな立場に至り、さらにトランスパーソナルとの決別を経て、現在は、インテグラルな展開とそれのさらなる発展に取り組んでいる、ということになります。

ウィルバーの生活に関して、もう一つ、彼の思想的深化を語る上で不可欠なものは、「30代中盤での結婚」、「妻の闘病(乳癌)」、「看病のための休業」、そして「妻との死別」という、一連の「ウィルバーにおける試練の時期」です。詳細は、『グレース&グリット』(原題:Grace and Grit)で述べられています。当時、既にトランスパーソナル心理学の世界では有名人となっていたウィルバーは、ある大学(CIIS)で講演をした際に、そこの大学院生であったテレヤと出会い、結婚します。しかし、結婚のわずか数日後、テレヤが乳癌を患っていたことが判明し、結婚後の数年間は、ウィルバーにとっては「妻の看病に明け暮れる日々」となります。もちろん、執筆活動は滞り、一種の沈黙期間となります。妻の死後も数年間は自宅にこもり、悲しみの日々を過します。

しかしながら、その後の活動が明白に示すように、ウィルバーにおける「試練の沈黙期間」は、彼の著作活動のみならず、彼自身の霊的成長にとっても不可欠な時期であったといえるでしょう。個人的には、ウィルバーのこの試練の時期は、わが子の死を受け入れられず悲しみにくれるゴータミーが仏陀との出会い諭され、「誰にでもある死の必然性」を悟り、正気を取り戻していくエピソードを思い出します。

ウィルバーの沈黙期間中、宗教・哲学・心理学の領域では一つの思想的潮流が席捲していました。ポストモダニズムです。「現代思想」と日本では呼ばれているこうした思想的潮流は、「哲学の死」・「物語の終焉」・「全ては解釈に過ぎない」・「真理はない」というような“合言葉”の下、あらゆる既成のものに対して脱構築という一種の再解釈を施していきます。また既成のものは、全て権威的であると捉えられ、あらゆる階層性や価値判断などが骨抜きにされていきます。むろん、こうした「現代思想」やポストモダニズムは、それ自体においては重要な時代的意義を背負っている思想的潮流であり、無下に否定されるべきものではありません。しかし他方では、この思想的潮流に潜むニヒリズムやナルシシズムは、ウィルバーに危機感を抱かせたようです。

かくして、ケン・ウィルバー完全復帰の象徴となり一つの思想的金字塔となった著作が、『進化の構造』(原題:Sex, Ecology, Spirituality)です。これは、当時席捲していたポストモダニズムへの挑戦の書であり、同時に(当時、同じように時代の自己陶酔的な影響を多大に受けていた)トランスパーソナル心理学からの決別の書でもありました。本書には、「心理学界のアインシュタイン」に勝るとも劣らない、「今世紀(20世紀)最大の書」というような賛辞が与えられています。読んでみると分かるのですが、電話帳のような分厚さにもかかわらず、「これ以上は省略できない」というほどの密度で書かれています。他方、難解ではあるにもかかわらず、もし読者がウィルバーと同じ問題意識を共有しているならば、一気に引き込まれてしまうでしょう。そして読後感は、上述のように「賢くなったように感じる・元気がでるように感じる」ことでしょう。なお、英語が得意な方は、ぜひ、原書の方をお読みすることをお勧めします。これはウィルバーの著作全体にいえることですが、圧倒的な記述と深さにもかかわらず、英文では、彼の言い回しによる明快さと驚くべき説得力を感じることができます。読みながら、「なるほど、これはこう説明できるのか」と納得させられる機会にしばしば遭遇することでしょう。

なお、『進化の構造』(原題:Sex, Ecology, Spirituality)は、ウィルバーによると、これから続く三部作の第一部に過ぎないとのことです。第二部以降は、「God, Sex, and Gender」や「Kosmic Karma and Creativity」などの仮題が付されていますが(参照URL)、今後、インテグラル・ムーブメントの活発化の中で、残りの二つがどのようにできあがってくるか注目したいところです。

そしてこの書による復帰後、ウィルバーの思想的枠組みは、(宗教・哲学を部分的に含む)心理学にとどまらず、文明論的なものへと発展していきます。すなわち、彼の守備範囲が、四象限でいう「左上」のみから、四象限全般へと広がっていったということです。スパイラル・ダイナミクスにも頻繁に言及しながら、そうした文明論的・進化論的・発達論的な視座から、よりマクロ的な論を展開していきます。たとえば、『万物の理論』(原題:A Theory of Everything)などが代表的なものでしょう。その中で言及されているように、インテグラル・インスティチュートが設立され、ウィルバー活動は、世界中の賛同者の協力を得ながらより組織的なものへと変化してきています。

もちろん、これは、いわゆる「“ウィルバー教”のようなものができてそこに人々が狂信的に関わっていく」というようなことはでは決してありません(各人はその点には十分注意する必要はあります)。そうではなく、まさしくその逆であり、「あらゆる思想的・理論的・人生論的なものが特定の団体・個人・信条・教義の利害等に退行・矮小化されてしまい、本来もっていた価値が骨抜きにされてしまう」という、現代のこうした(スパイラル・ダイナミクスの言葉で「不健全グリーン」と呼ばれる)傾向への対策を講じ、同時に、私たちを「本来の成長への道程」へと戻す役割こそを、インテグラル・インスティチュートやそれに関連する諸活動は担おうとしているようです。

その意味からも、もしウィルバーの著作に非常に感銘を受けたのならば、単にウィルバーの著作や生き方への傾倒のみに拘泥せず、また(現在世界中にいる)彼を熱狂的支持する「ウィルバー教徒」(Wiliberian)にもならず、「ケン・ウィルバー自身が抱きつつ常に更新させていく問題意識」の方にこそ、真摯に共有し、そして私たち自身が「いかにしてインテグラルな展開に貢献していけるのか」を問うこと、これこそが「真にインテグラル・ムーブメントに関わること」であると思います。

現在、ウィルバーは、ボルダーの自宅にて世界中からの訪問客の応接に追われながらも、かつての「皿洗い思想家」のように、読書と思索と執筆と瞑想とエクササイズの日々を過しているとのことです。『ワン・テイスト』(原題:One Taste)では、彼の自宅での生活ぶりが描写されていて興味深く読めます。数年前より病を患ったそうですが、昨年(2004年)訪問した知人によると、元気そうだったとのことです。